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イエス『Talk』30周年記念、トレヴァー・ラビン/ジョン・アンダーソン/トニー・ケイが回想

2024/09/19 13:47掲載
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Yes / Talk
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イエス(Yes)が1994年にリリースした、トレヴァー・ラビン(Trevor Rabin)時代の最後のスタジオ・アルバム『Talk』。発売30周年を記念した30thアニヴァーサリー・エディションが海外で発売されたことにあわせ、ラビン、ジョン・アンダーソン(Jon Anderson)トニー・ケイ(Tony Kaye)が英Prog誌の企画で、このアルバムについて振り返っています

『Talk』誕生は、1992年にイエスが『Union』ツアーを終えた後、長年イエスと関わってきたフィル・カーソンは、自身が新たに設立したレーベルであるVictory Musicにイエスを迎えたいと強く願ったことから始まります。カーソンはどのような編成を望んでいるかも決めていました。

トレヴァー・ラビン:
「フィルは僕に『90125』のラインナップで新しいイエスのアルバムを制作する責任を担ってくれないかと尋ねてきたんだ。僕たちは、やりたいことをほぼ自由にやらせてもらえたよ」

ラビンはかなり前から曲を書いていて、スーパートランプのロジャー・ホジソンとは長い間一緒に仕事をしていました。

トレヴァー・ラビン:
「ロジャーはカリフォルニア北部のサクラメントに住んでいたので、僕はそこまで車で行って、一緒に曲作りをしていた。ある時、クリス・スクワイアとアラン・ホワイトがやってきて、しばらくスタジオでジャムセッションをした。一緒にいくつか曲を書いたが、そのうちの1曲が“Walls”だった。でも、ロジャーがイエスのヴォーカリストになるつもりはまったくなかった。実際、A&Mのジェリー・モスが僕たちが一緒に曲を書いていることに気づいたとき、彼は僕をバンドに迎えて新しいヴァージョンのスーパートランプを結成しようとしていた。僕は断ったし、ロジャーも乗り気ではなかった」

ラビンは、プロジェクトを成功させるには『90125』や『Big Generator』の時よりもずっと早い段階でジョン・アンダーソンを参加させることが重要だと考えました。そこで、ふたりはお互いを知り、曲作りをするために、カリフォルニアのビーチサイドのモーテルに滞在しました。

ジョン・アンダーソン:
「僕たちは1日中音楽について話し、それからレコーディングに取り掛かった。徐々にだけど、確実に曲が形になっていった。1対1で作業するのはとても刺激的だった。トレヴァーはドラムやベース、ギターを録音し、僕は歌詞を書き留めた。僕にとってとても調和の取れた経験だった」

トレヴァー・ラビン:
「良い曲をいくつか書いたけど、そのすべてがアルバムに収録されたわけではない」

ラビン、アンダーソン、スクワイア、ホワイト、そしてトニー・ケイは、ラビンの自宅のガレージを改造したスタジオ「Jacaranda」に集まりました(ドラムの録音はハリウッドのA&Mスタジオで行われました)。 選ばれた曲のほとんどは、ラビンとアンダーソンが書き、スクワイアが貢献したものでした。

ケイはアルバムへの貢献は比較的控えめだったにもかかわらず(クレジットにはハモンドオルガンのみ)、ラビンを最も支えた人物でした。

トニー・ケイ:
「バンドのメンバーは散り散りになっていて、あまりスタジオにいなかったが、僕はトレヴァーの家のすぐ近くに住んでいたので、毎日スタジオに通っていた。たばこを吸ったりビールを飲んだりしながら、何かが起こるのを待っている時間が多かったのを覚えているよ。でも、複雑な曲が徐々に形になっていくのを見るのは興奮したよ」

多くのファンの心を捉えた16分間の「Endless Dream」は、ラビンが作曲したもので、アンダーソンに初めてこの曲を聴かせた時のことを振り返っています。

トレヴァー・ラビン:
「最初から最後まで、僕のヴォーカルで録音したんだ。それを彼と息子に聴かせたら、ふたりとも泣いていた。それは最高の賛辞だったのか、それとも大失敗だったのか、どちらだったんだろうね! 歌詞は、この世界がどれほど混乱したものになってしまったかという内容で、ジョンはそのテーマに沿って繊細に歌詞を膨らませてくれた」

アルバムはリリースされましたが、あまり売れず、チャートも控えめな結果に終わりました。彼らは困難な状況にあることを理解していましたが、そのことがツアーへの意気込みを削ぐことはなかったという。

トレヴァー・ラビン:
「バンドは当時、とても良い状態にあった。今までで最高の演奏だった」

ツアーが終盤に差し掛かると、変化が起き始めていました。『Talk』のリリース直後にVictory Musicが倒産し、本格的なプロモーションの望みは断たれました。1995年初頭には、ラビンとケイがバンドを脱退しました。

トニー・ケイ:
「少し暗雲が立ち込め始めていた。ツアーにかなり嫌気がさしていたし、もう限界だと感じていたんだ」

トレヴァー・ラビン:
「ツアーの後、自分は歓迎されていないと感じた。『Talk』の商業的な失敗の責任は僕にあると思ったし、それを受け入れなければならなかった。それが映画音楽の世界に足を踏み入れるきっかけになったんだよ」

多くのファンは『Talk』を「失われたアルバム」のようなものだと考えています。2002年に再発されたものの、しばらく入手できなかったため、30周年記念エディションの再発は再評価の好機となるでしょう。

トニー・ケイ:
「少し過小評価されていると思う。良い曲がたくさん入っているし、演奏も素晴らしい。残念ながら、さまざまな要素があるアルバムだったので、昔からのイエス・ファンの多くから無視されてしまった。これはトレヴァーのアルバムだ。それは間違いない」