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ブラジル・サイケフォークのカルト的アーティスト、ジョゼ・マウロ死去

2024/09/17 12:40掲載
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José Mauro / Obnoxius
José Mauro / Obnoxius
ブラジル・サイケフォークのカルト的アーティスト、ジョゼ・マウロ(José Mauro)が死去。カルト的人気を博しながらも1970年代以降、行方不明となり、死亡説も流れましたが、2016年に彼のアルバムが再発された際にリイシュー元のFar Out Recordingsが彼の生存を確認しました。それから8年、同レーベルはマウロが短い闘病生活の末、亡くなったことを明らかにしています。76歳でした。

ジョゼ・マウロはリオデジャネイロのジャカレパガ生まれ。コンサートピアニストのWilma Gracaに作曲を、ブラジルの巨匠Baden Powell、Roberto Menescal、Wanda Saにギターを学んだ。彼の初期の楽曲がブラジル屈指の名匠ホベルト・クアルチンの目に留まり、作曲パートナーのアナ・マリア・バイアーナを紹介され、その後、クアルチンは自身のレーベル、Quartinからマウロの楽曲をリリースした。

リリースされたのは『Obnoxius』と『A Viagem Das Horas』の2枚のアルバムで、いずれも1970年代にリリースされた。アルバムは当時、注目されなかった。

彼のキャリアが短かったことから、軍事政権に拉致されたのではないか、あるいは交通事故で亡くなったのではないかという噂が広まる。しかし、実際にはもっと単純な理由で、商業的成功を収めることができなかったため、レコーディングアーティストとしてのキャリアを続けることをやめた。

マウロはリオで暮らし、劇場向けの楽曲を書き、Tablado Theatre Schoolで音楽監督として働き、ギターの指導も行っていた。しかし、数年後、健康上の問題に直面し、音楽活動を完全にやめざるを得なくなった。

彼の作品は、北米やヨーロッパでは、MadlibやFloating Pointsなどのおかげもあり、徐々に再発見されていった。

2016年の『Obnoxius』の再発後、Far Out Recordingsはマウロがリオの郊外で静かに暮らしていることを知る。同レーベルは2021年の『A Viagam Das Horas』再発に先駆けて、パーキンソン病の初期症状により長らく演奏活動ができなくなっていたマウロと連絡を取ることができた。マウロは、英The Guardian紙、米ニューヨーク・タイムズ紙などのインタビューに応じた。