YMOや荒井由実らを手掛ける 音楽プロデューサーの川添象郎が死去
2024/09/10 08:39掲載
川添象郎
YMOで社会現象を巻き起こし、荒井由実、吉田美奈子、ハイ・ファイ・セット、佐藤博など、いま、世界でシティポップとして高く評価される音楽をプロデュースした、音楽プロデューサーの川添象郎が死去。83歳でした。
関係者によると、今年2月に一時、心停止するほどの重篤な状態に。約半年の入院生活を経て、9月に福島県内の自宅で療養しながら音楽生活に意欲を燃やしていたという。9月8日に福島県内で亡くなりました。
川添象郎は1941年東京都生まれ。父はイタリアンレストラン「キャンティ」を創業し、国際文化事業で知られる川添浩史、生母はピアニストの原智恵子。明治の元勲、後藤象二郎を曽祖父にもつ。
慶應義塾幼稚舎を経て、ラ・サール高等学校から和光高等学校に転入。高校卒業後、マグナム・フォトのルネ・ブリやデニス・ストックの来日アシスタントとして働く。
60年に渡米。舞台芸術とショービジネスをラスベガスで働きながら学ぶ。フラメンコ・ギタリストとしても活動。オフブロードウェイの前衛劇『六人を乗せた馬車』に参加し、世界ツアーを経験。帰国後、反戦ミュージカル「ヘアー」をはじめ、音楽と演劇を中心に数々のプロデュースをおこなう。
1977年、村井邦彦とアルファ・レコードを創設し、荒井由実、サーカス、ハイ・ファイ・セットなど、現在では「シティポップ」として世界的にも評価される、都会的で洗練された音楽をリリース。YMOのプロデュースでは、世界ツアーを成功に導き、日本を代表するポップカルチャーとして世界的存在に仕立て上げた。
イヴ・サンローランの日本代表やピエール・カルダンのライセンス開発も手掛け、1980年代半ばには、空間プロデューサーとしても活動。
2007年にはほぼ20年ぶりに音楽プロデュースに復帰し、SoulJaをプロデュース。青山テルマ feat.SoulJa『そばにいるね』は日本で最も売れたダウンロードシングルとして、ギネス・ワールド・レコーズに認定された。
2022年は、初の自叙伝『象の記憶 日本のポップ音楽で世界に衝撃を与えたプロデューサー』(DU BOOKS)を発表した。