Ozzy Osbourne and Randy Rhoads - Photo by Getty Images
クワイエット・ライオット(Quiet Riot)やオジー・オズボーン・バンドで
ランディ・ローズ(Randy Rhoads)と一緒に活躍したベーシストの
ルディ・サーゾ(Rudy Sarzo)は、
オジー・オズボーン(Ozzy Osbourne)がランディ・ローズに贈った言葉がランディがギタリストとして成長する上で決定的に重要だったと、ポッドキャスト『Jay Jay French Connection』のインタビューの中で語っています。
「ランディが、ロックの殿堂を果たしたギタリスト、ランディ・ローズになれたのは、オジーと出会ったからなんだ。
なぜそうなったのか彼に尋ねたことがある。すると彼は“オジーに何を書けばいいのかと尋ねたら、オジーは“自分らしくいろ”と言った。その時、彼は自分の作曲にクラシックの影響を入れても大丈夫なんだと感じたんだよ。
それまではなかった。ランディの中にはあったけど、クワイエット・ライオットというバンドには合わなかった。オジーには合ったけど、クワイエット・ライオットには合わなかったんだ」
元オジー・オズボーンのベーシスト、ボブ・デイズリーは最近、ランディが自身の作曲にクラシックの影響をより多く取り入れることへの情熱について語っています。
「“Diary of a Madman”が生まれたのは、彼が行く先々でクラシックギターの先生を見つけて、その先生から与えられた“Etude”という曲を練習していたからなんだ。彼はそれを曲のイントロにした。それは、彼がやっていた練習に色取りを加えたものであり、精巧なものだった」
ディ・サーゾは同じインタビューの中で、ローズがツアー先々で必死になって先生を探していたというデイズリーの話を裏付けています。
「ローズはGuitar World誌の“ニュー・ベスト・ギター・プレイヤー投票”(1981年12月)で1位になってから“次のレベルに進まなきゃ”と言っていた。
彼は、俺たちが演奏するすべての街でギターのレッスンを受けるようになった。俺たちはいつも早めにホテルにチェックインしたんだけど、ランディはイエローページで音楽学校やギターショップの広告を探していた。そして、彼はそこへ出かけて行った。
たいてい、誰かからレッスンを受けていても、ランディ・ローズなわけだから、結局は彼が教えることになるんだけど、彼はその意欲を失うことはなかった。それが彼の使命となった。“どうすれば最高のギタリストに、最高の作曲家に、最高のランディ・ローズになれるのか?”とね」