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ザ・ザ なぜ新アルバムまで24年かかったのか? どのようにして復活を遂げたのかをマット・ジョンソン本人語る

2024/08/15 15:12掲載
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The The - Matt Johnson - Photograph: Tristan Bejawn/The Guardian
The The - Matt Johnson - Photograph: Tristan Bejawn/The Guardian
ザ・ザ(The The)は9月に24年ぶりの新アルバム『Ensoulment』をリリースします。なぜ、これほどまでの時間を要したのでしょうか? 悲しみや病気を経て、どのようにして復活を遂げたのかをマット・ジョンソン(Matt Johnson)本人が英ガーディアン紙の新しいインタビューの中で語っています。

「こんなに長くなるとは思っていなかったよ。でも、完全に燃え尽きていたんだ」

音楽から遠ざかる長い道のりは1989年に始まりました。ザ・ザが3rdアルバム『Mind Bomb』に伴うツアー中に、ジョンソンの弟のユージンが脳動脈瘤で急死しました。

「僕にとっても家族にとっても大きな打撃だった。ツアーを3ヶ月延期したんだけど、ステージで歌っているときも、弟の顔が目に焼き付いて離れなかったので、とても辛かったよ」

ジョンソンは自身のその感情を「Love Is Stronger Than Death(愛は死よりも強く)」という曲に込め、その結果、「より暗く内省的な場所に入っていたんだ」という。

彼は1993年のアルバム『Dusk』を完成させるまでバンドを維持し続けましたが、その7年後の2000年にアルバム『NakedSelf』をリリースする頃には、バンドは徐々にバラバラになっていました。

弟の死と、容赦なく変化する音楽ビジネスというダブルパンチに疲弊したジョンソンは、もうこれ以上は自分には何も与えるものがないことに気づいたという。「それから7年間はギターを手にすることさえなかった」とため息をつきながら言い、「正気じゃないだろう?」と付け加えています。

彼は、映画のためにインストゥルメンタル曲を書くことができるものの、それ以外はソングライティングが自分から離れてしまったことに気づきました。

「僕はいつも歌詞を書いていたんだけど、何も完成させることができなかった。何百ページものノートがあった。いいコードが浮かぶことはあっても、それ以上は何も浮かばなかったんだ」

2016年、ジョンソンは自身の失踪と慢性疲労症候群についてのドキュメンタリー『The Inertia Variations』を撮影中、ザ・ザのジャケット・デザインを手がけた兄のアンドリューが脳腫瘍で亡くなりました。その後、ジョンソンは、16年ぶりの新曲「We Can't Stop What's Coming」を書き、それを兄のアンドリューに捧げました。後に、生放送でこの曲を歌う姿が撮影されましたが、それは彼が10年以上ぶりに歌った瞬間でした。「多くの人から“何を考えていたの?”と聞かれたよ(笑)。僕は“最初の歌詞を思い出させてくれ”と思っていた」

このまま本格的なカムバックに向うかと思われましたが、新型コロナウイルスのパンデミックによってカムバックは頓挫しました。

この頃、ジョンソンは病院に運ばれました。新型コロナではなく、「咽頭膿瘍が悪化した」ためだったと彼は言い、その状態を「小さなニシキヘビが気管に巻き付いているようなもの」だと表現しています。

ジョンソンは緊急手術が必要でしたが気が進まなかったという。「復帰し始めたばかりだったので、“僕は歌手だ、のどを切らないでくれ!””と言っていた。医師たちは、担当するのは非常に優れた外科医で、手術をしないと死ぬ危険があると説明してくれた」

パンデミックの初期段階での入院は、非現実的な体験だったという。

「病院の大部分は暗く、寒く、誰もがマスクをしていた。モルヒネを投与されていたので、もしかしたら本当に死んでしまったのかもしれないと思い、ここは生と死の中間点なのかなとも思った。本能的に体を動かさないとマズイと思った。その後、点滴を受けながら外科用のストッキングを履いて病棟を歩き回り、そして“これを曲にしなければ”と思ったんだよ」

これらの経験から「Linoleum Smooth to the Stockinged Foot」という曲が生まれたという。そして、パンデミックの前は曲を書くのに苦労していましたが、ある日突然、アルバム1枚分の曲を思いつくことができたのだという。

こうして生まれた新アルバム『Ensoulment』は、愛や死などの人気のあるテーマだけでなく、教育システムやAI、オンライン恋愛などの新しいテーマも取り上げています。

6年ほど前、ロイヤル・アルバート・ホール公演の2日前にジョンソンの父親が亡くなりました。ステージ上で、ジョンソンは「父がいたはずだったボックス席を見つめながら、アンドリューとユージンのことを考えていた。それは信じられないほど強烈な瞬間だった」と振り返っています。

多くのものを失った後、ジョンソンは「より優しい人間になり、家族や友人、そしてこれまでのキャリアにとても感謝するようになった」と言う。

彼は最近、再びツアーをするためにリハーサルをし、レーベル兼音楽出版社のシネオラを運営して、映画のサウンドトラックを徹夜でミキシングしていたという。

彼はにっこり笑ってこう言います。「音楽界で最も怠け者だった僕が、最も働き者になったよ」