ボブ・デイズリー(Bob Daisley)はもともと、作詞は得意ではなかったが、
オジー・オズボーン(Ozzy Osbourne)と活動してからは作詞家としても活躍しました。なぜオジーのバンドで作詞を始めたのか? オジーとランディ・ローズが試しに書いた歌詞が「『スパイナル・タップ』みたいだけど、もっとひどい」ものだったため、「必要に迫られて」自分で書くようになったと、ジョニー・ビーンの新しいインタビューの中で話しています。
インタビューでデイズリーは、自分の作詞家としてのキャリアはオジーから始まったと話し、どのような経緯でバンドのために歌詞を考えるようになったのかと尋ねられ、こう話しています。
「レインボーでは、ロニー(ジェイムス・ディオ)は優れた作詞家だったから、そういうのはロニーが独占していたようなものだった。ゲイリー・ムーアの場合は、作詞はかなり自給自足していたから、彼は全部自分で作詞していた。でも、ユーライア・ヒープではいくつか書いたし、マザーズ・アーミーではたくさん書いた。
オジーの場合は、そういう境遇だったんで俺が書いた。
どうして俺が作詞を始めたかというと、オジーは作詞家ではなかったし、ランディもそうだった。最初は俺たち3人だけだった。当時はドラマーのオーディションをしたり、曲を書いたりしていた。
俺たちは、イギリスのサフォークにあるイルケットシャルというところにあるトランスアム・トラッキングというリハーサル場所にいた。そこに住み込みで、ドラマーのオーディションや曲作りをしていたんだけど、ある朝、俺が降りてくると、オジーとランディがある曲で作詞に挑戦していた。
俺は“これはひどい”と思ったよ(笑)。まるで『スパイナル・タップ』みたいだけど、もっとひどかった(笑)。それで“作詞家の帽子をかぶらなきゃ”と思ったんだ。俺たちは自分たちのことは自分たちでやっていきたいし、バンド以外のライターを雇いたくなかった、自分たちの屋根の下でやっていきたかった。だから、作詞家の役割と曲の作詞を引き受けたんだ」
もちろん、特にヴォーカル・メロディに関しては、曲作りのプロセスにおいてオジーが重要な意味を持っていたことをデイズリーは公言しています。しかし、歌詞に関してはオジーではなく自分がほとんどを手がけたと話しています。
「オジーが(曲の中の)セリフやタイトルみたいなものを考えたことはいくつかあった。でもね、(歌詞の)99%は俺なんだ」