ディープ・パープル(Deep Purple)や
ディキシー・ドレッグス(Dixie Dregs)などでの活躍でも知られるギタリストの
スティーヴ・モーズ(Steve Morse)。彼は1987年頃、プロとしてギターを弾くことを辞め、民間航空会社のプロ・パイロットとして生活していた時期がありました。音楽への情熱を再び燃え上がらせたのは
レーナード・スキナード(Lynyrd Skynyrd)との出会いだったという。彼はアーニー・ボールとの新しいインタビューの中で、このエピソードについて語っています。
「(ディキシー)ドレッグスは1981年に解散したようなものだった。僕たちは6枚のアルバムを出したけど、音楽ビジネスは自分にはちょっと奇妙すぎるかもしれないと感じていた。だから、ブルドーザーを運転したり、人のために干し草を刈ったり、そういう変わった仕事を始めたんだ。ミュージシャンとしては働いていなかった。あまり長くは続かなかったけどね。音楽が本当に恋しくなったんだ。
何かやることを見つけなければならなかった。食べていくため、請求書の支払いをするためにね。Capricorn Recordsのフィル・ウォルデンは、自分のバンドを作ることを勧めてくれた。“過去にどんな問題があったとしても、自分のことをやれ”ってね。トリオを組めば、すべてを管理できるし、苦しい時期も乗り切れると思ったんだよ。
音楽的には本当に大変なことだけど、それはそれでとても楽しかった。それで、80年代の初期から中期にかけてスティーヴ・モーズ・バンドをやったんだ。何年か続いたかな。そして燃え尽きた。というか、何度もツアーをやっているうちに、同じことの繰り返しになっていったんだ。
カンサスと一緒に新曲を作る機会を得て、それがカンサスともっと曲を作ることになり、最終的にはアルバムを出して、ツアーをやって、またツアーをやって、またアルバムとツアーをやることになった」
この後、モーズは音楽業界の浮き沈みにうんざりし、真剣に転職を考えました。
「自分のバンドであちこち飛び回っていたので、飛行時間がたくさんあったのを利用すべきだと思ったんだ。友人に航空会社のパイロットが数人いた。彼らは、それがどんなに素晴らしい仕事か僕に教えてくれた。
それで思ったんだ。“その仕事があれば(収入もあるのでお金の心配はなくなり)、自分の好きなものを何でもレコーディングできる。ビジネスとして誰かを喜ばせることを気にすることなく音楽をすることができる”。それがすごく魅力的だった。
その間に、最初のソロアルバム『High Tension Wires』をレコーディングした。レコード会社の人たちに対しては“どうでもいい。僕は音楽を作るためにここにいる。それだけだ”というスタンスだった。
その仕事(パイロット)に就くのはとても楽しかった。大きなチャレンジだったけど、本当に楽しかった。でも、実際にやってみて、それを繰り返しているうちに、どんな仕事にも嫌なことがあることに気づいた。時には対処しなければならないこともある」
そんな時、レーナード・スキナードがモーズと連絡を取り、彼の人生を永遠に変えるることになるチャンスを提供しました。
「長い長い一日を終えて(自宅に)戻ってきた時だった。夜中の2時だった。まだ制服を着ていた。電話の相手はゲイリー・ロッシントンで“今、オムニ(ジョージア州アトランタにある屋内アリーナ)にいる。ぜひ来てくれ。ギターを持って来い。今夜やるから”と言っていた。
僕は“一日中仕事だったし、髪も全部切ったんだ”と言うと、彼は“ギターを持って来い。6時に会おう”と言っていた。6時には間に合わなかった。無理だった。というか、遠すぎるんだよ。
やっと着いたら、彼らはすでに演奏していた。彼らは見渡し、ゲイリーに僕が着いたことが伝わった。するとゲイリーが“よし、みんな。スティーヴ・モーズを迎えてGimme Back My Bulletsを演奏しよう”と言っていた。それで誰かが僕をステージに押し上げたんだ」
この模様は1988年にリリースされたライヴ・アルバム『Southern By The Grace Of God』に収録されています。
「レーナード・スキナードのアルバムの1つに、僕が彼らと一緒に演奏しているものがある。僕は思ったんだ。“またこんなにクールになれるんだったら、フルタイムで音楽に戻るべきだ。だって、最高じゃないか!”と」
モーズはその後、ディープ・パープルに加入し、2022年7月に脱退するまで28年間在籍しました。翌年、彼はスティーヴ・モーズ・バンドを再結成し、 10年ぶりのツアーを行いました。