Kerry King - Photo by Andrew Stuart
スレイヤー(Slayer)の
ケリー・キング(Kerry King)はMetal Blastの新しいインタビューの中で、1990年代を振り返ってこう語っています。
「自分のキャリアを振り返っていつも思うのは、“90年代にもっと注意を払うべきだった。90年代にもっと注意を払い、90年代にリリースしそうなクソみたいなアルバムは出さないでくれ””ってことだ(笑)。
90年代にやったことは好きじゃない。
俺は(当時の)音楽にとても幻滅していた。人気が出てきたバンドが理解できなかったからね。今でも理解できない。リンプ・ビズキットは好きじゃなかったし、あの時代のバンドはどれも好きじゃなかった。ただうんざりして、興味がなくなったんだ。
(1998年アルバム)『Diabolus in Musica』ではそれが顕著に表れている。あのアルバムには注意を払っていなかった。何曲か(作曲に)参加したが、いつものようには貢献できなかった。
それから俺は我に返り、“こんなのクソ食らえだ。俺たちはスレイヤーだ。重要な存在でなければならない。俺の意見に注意を払うべきだ”と言った。(次回作である2001年アルバム)『God Hates Us All』では俺が気を配るようになったことがわかるだろう。
90年代に少し迷走したけど、軌道修正して、さあ、これからだ、という感じで、ある意味、俺らの再生のようなものだったんだ」
『Diabolus in Musica』で、このようなことを試みることにバンドにプレッシャーはなかったのかという質問に対し、キングは、新しいスタイルをもっと探求したいと思っていたのはジェフ・ハンネマンだったと語っています。同作でほとんどの楽曲を手がけているのはハンネマンでした。
「ジェフは少し違うことを受け入れようとしたんだと思う。俺はそれが嫌だった(笑)。それは俺の貢献にも表れている。今になってみればわかるんだけど、あのアルバムがリリースされたとたん、“あのアルバムにもっと気を配って、もっと貢献するべきだった”と思ったんだ。バンドが自分たちとは違うものに進化しようとするのを聞く代わりに、自分の怒りを伝えたかった。
この意見には異論があるだろうね。あのアルバムを気に入っている人もいるけど、俺にとっては間違いなく一番のお気に入りではない。
90年代の俺らは、それほど多くの作品をリリースしたわけではない。ポール(ボスタフ)が脱退したこともあった。それでも(1996年)『Undisputed Attitude』というアルバムを作った。とても誇りに思っている。あのカヴァー・アルバムは大好きだよ。オリジナル曲も何曲か、俺が"Gemini”を作った。
90年代後半は...俺にとっては、あまり良い時期じゃないんだよ」