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ジャクソン・ブラウン『Running on Empty』をリーランド・スカラーらが回想 「ゲリラ戦のようなもの」「暴走列車」

2024/05/30 18:11掲載(Last Update:2024/05/30 18:30)
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Jackson Browne / Running on Empty
Jackson Browne / Running on Empty
ジャクソン・ブラウン(Jackson Browne)が1977年にリリースしたライヴ・アルバム『Running on Empty(邦題:孤独なランナー)』は通常のライヴ・アルバムとは趣が異なり、ステージでのパフォーマンスはもちろんのこと、ホテルやバスの中など、ツアーの様々な場所での演奏が収録されており、収録曲もすべて新曲とカヴァー曲で構成されています。

このレコーディングに参加したひとり、リーランド・スカラー(Leland Sklar)と、ドキュメンタリー映画『Immediate Family』の監督デニー・テデスコはUltimate Classic Rock Radioのホスト、マット・ウォードローが行った新しいインタビューの中で、『Running on Empty』について振り返っています。

■リーランド・スカラー

「『Running on Empty』はゲリラ戦のようなものだった。今まで関わったどのプロジェクトとも違っていたからね。ライヴ・アルバムとかはやったことがあったけど、でも、あれは何かが(違っていた)。まず、すべてが新曲だったので、観客は初めて聴く曲ばかりだった。ベストヒットを演奏するようなものではなく、観客を新しい旅に連れて行くようなものだった。セクションはどのライヴでもオープニングを飾ったので、とても楽しかった。ツアー中ずっと全力で演奏できたよ。

僕は普段はまったくお酒を飲まないけど、人生で3回ほど泥酔したことがある。僕にとって本当に印象深い思い出のひとつは、そのツアーのある夜、僕は本当にひどい夜を過ごして、“くそったれ、ラム酒を一気飲みしてやる!”と酔いつぶれてしまったんだ。すると突然、ジャクソンから電話がかかってきて“レコーディングしよう!”って言われたんだ。僕たちはホテルか何かにいた。そこでレコーディングを始め、僕は全力で演奏しているつもりだった。本当にロックしていた。

翌日、テープを聴いてみると、まるでチンパンジーが部屋のベースを見つけ、それを叩いているような音だった。“もう二度と酒は飲まない。こんな恥ずかしい、ひどいのは初めてだ”と思ったよ(笑)。面白い瞬間だった。でも、信じられないようなことだった。僕たちはただひたすら曲を作り上げ、次の瞬間にはそれをライヴでやっていたんだ。

フィラデルフィアのロビンフッド・デルという、とても美しい野外円形劇場でも演奏した。 大嵐が吹き荒れて、会場を降りるための階段はまるで鮭の遡上のように見えた。 会場には水が流れ込み、観客はびしょ濡れになり、大はしゃぎして楽しんでいた。

そこに行くと“クールなプロジェクトだった”と思い出がよみがえるような場所がある。必ずしも具体的な曲を覚えているわけではないけどね。映画(ドキュメンタリー映画『Immediate Family』)の中でも話しているように、ある町のレストランから出て行くときに“また戻って、この店に行かなくちゃ”と思うようなこともあった。メンフィスのマッドアイランドやピーボディホテルでの思い出もあるし、ピーボディホテルのアヒルがエレベーターから出てくるシーンを撮影したこともあった。ピーボディホテルのアヒルは有名だからね。いろんなことがあったよ」

■デニー・テデスコ

ドキュメンタリー映画『Immediate Family』の中ではジャクソン・ブラウン本人が『Running on Empty』について話しています。テデスコは、試写を観たブラウンからこんな連絡があったと話しています。

「ある日突然ジャクソンから電話がかかってきた。彼は“やあ、デニー、ジャクソン・ブラウンだ”と言って“映画は気に入ったけど、ひとつだけ問題がある”と言った。僕は“何?”と聞くと、彼は“僕が『Running on Empty』について話しているとき、“暴走列車(runaway train)”と話しているんだ”と言い、“僕はそれをネガティブな意味として言ったんだ”と言った。僕は彼に理由を尋ねた。すると彼は“日中リハーサルをやって本番に臨んだけど、うまくいかないことが時々あった。最後の街でようやくうまくいったんだ”と答えた。でも、編集したときの僕の印象では、そのフレーズはとても力強く、クールに聞こえたので、文脈から外れていてもそれを使ったんだ。再編集を試みたんだけどうまくいかず、“そのままでいい?”と尋ねたところ、彼は“いい”と答えてくれたんだよ」