米サイケデリック・ロック/ハードロック・バンド、
アイアン・バタフライ(Iron Butterfly)の創設メンバーで、リード・ヴォーカリスト、オルガン奏者、メインの作曲家だった
ダグ・イングル(Doug Ingle)が死去。彼の息子がSNSで発表。78歳でした。イングルはオリジナル・メンバーの最後の存命メンバーでした。
以下、息子ダグ・イングル・ジュニアの声明より
「大きな悲しみと沈痛な思いの中、父ダグ・イングルが亡くなったことをお知らせいたします。父は今晩(5月24日)、家族に見守られながら静かに息を引き取りました。父であり、先生であり、友人でいてくれてありがとう。愛してるよ、パパ」
ダグ・イングルは1945年、ネブラスカ州オマハで生まれ、幼い頃にサンディエゴに移り住んだ。彼の父は教会のオルガニストで、彼に早い時期から音楽を聴かせた。
イングルは1966年にアイアン・バタフライを結成。1968年1月にデビュー・アルバム『Heavy』をリリースした。その半年後の同年7月に、記念碑的な2ndアルバム『In-A-Gadda-Da-Vida』をリリースし、全米トップ10に81週間ランクインするマルチ・プラチナの大成功を収めた。イングルが作詞作曲を手がけた17分のタイトル・トラックはアルバムの3,000万枚以上のセールスに貢献し、この曲の3分ヴァージョンはトップ40ヒットとなった。この曲は、この時代の最も影響力のあるサイケデリック・ロックの名曲のひとつとして知られ、スレイヤーからザ・シンプソンズまで、さまざまなアーティストがカヴァーした。
アイアン・バタフライは、イングルの在籍中にさらに、1969年の『Ball』と1970年の『Metamorphosis』の2枚のスタジオ・アルバムをリリースしたが1971年に解散した。アイアン・バタフライはその3年後に再結成したが、イングルはその時点では参加しなかった。1978年、イングルはアイアン・バタフライに再加入し、バンドとツアーを行なった。その後、80年代と90年代を通してアイアン・バタフライの断続的な再結成に参加してツアーを続けた。イングルは1999年に正式に演奏活動を引退した。