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レーナード・スキナードの悲劇の飛行機事故 ジョニー・ヴァン・ザントとリッキー・メドロックももう少しで乗るところだった

2024/05/10 12:29掲載
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Rickey Medlocke and Johnny Van Zant - Mike Coppola, Getty Images
Rickey Medlocke and Johnny Van Zant - Mike Coppola, Getty Images
1977年10月に起きた、レーナード・スキナード(Lynyrd Skynyrd)の悲劇の飛行機事故。ロニー・ヴァン・ザント、スティーヴ・ゲインズ、キャシー・ゲインズの命を奪ったこの飛行機に、再結成後のバンドを支えるジョニー・ヴァン・ザント(Johnny Van Zant)リッキー・メドロック(Rickey Medlocke)がもう少しで乗るところだったという。メドロックはポッドキャスト『The Monthly Social』の中で当時を振り返っています。

70年代初期にセッション・ミュージシャンとして様々な役割をこなしながらレーナード・スキナードで演奏していたメドロック。その後、彼の関心は新しいグループ、ブラックフットへと移りますが、メドロックはレーナード・スキナードのバンド仲間たちと連絡を取り続け、ロニー・ヴァン・ザントとは友人であり続けていました。

メドロックは、事故の直前にリリースされたレーナード・スキナードのアルバム『Street Survivors』に収録されている「One More Time」にも参加しています。

メドロックは、運命のフライトの少し前に、米フロリダ州ジャクソンヴィルにあるレーナード・スキナードの新しいスタジオに父親と一緒に立ち寄りました。ロニー・ヴァン・ザントは、当時発売されたばかりのアルバム『Street Survivors』を聴かせた後、彼を飛行機に誘いました。

「それが終わって、僕らが帰ろうとすると、ロニーが“リッキー、俺たちは飛行機を持っているんだ。1週間、一緒に乗らないか? ただぶらぶらしててもいいし、一緒にジャムることもできるよ”と言ったん。僕は“よろこんで”と言ったんだけど、父はあまり乗り気ではなかった。父は何か変な雰囲気だったんだ」

メドロックは、一時は同行することも考えましたが、結局ブラックフットの新たなツアーがあったため断りました。

「(スタジオに)行く数日前にエージェントから電話がかかってきて、2週間分のスケジュールが埋まっていると言われたんだよ。だから行けなかったんだ」

同様に、ジョニー・ヴァン・ザントもその飛行機に乗るはずでしたが、彼の両親は彼を行かせなかったとメドロックは話しています。

そして、1977年10月20日、悲劇の飛行機事故が起きました。レーナード・スキナードはサウスカロライナ州グリーンヴィルから同州バトンルージュでのコンサートに向かう途中でした。

「彼らはツアーに出た。僕たちも行った。彼らは(サウスカロライナ州)グリーンヴィルで公演をした。それが彼らの最後の公演だった。その日、僕たちブラックフットはサウスカロライナのコロンビアに向かった。彼らはグリーンヴィルを飛び立った。道をまっすぐ行ったところだった。それほど運命は近かったんだ」

知らせを聞いたとき、メドロックは急いでホテルに戻り、父親に電話をかけたという。

「ある男がステージの袖に駆け寄ってきて、“なあ、君はレーナード・スキナードでプレイしていたよな?”と言ったので、僕は“そうだよ”と答えたら、そいつは“君の仲間が飛行機事故に遭ったんだ”と言ったので、僕は“誰かこいつをそこから出せ”と言ったんだ。そのあと、ライヴが終わったとき、僕のギターテックが“リッキー本当だよ。ニュースになっている”と言ったので、慌ててホテルに戻って父と母に電話したんだ。電話が鳴ったのは1回だけで、すぐに父が電話に出た。“父さん、嘘だと言ってくれ”と言ったけど、父は“本当だ。テレビでロニーが亡くなった一人だと発表されたよ”と言っていた」

その後、レーナード・スキナードは1987年に再結成され、ジョニーは亡き兄弟の代役を務め、メドロックは1996年に加入しました。

メドロックは、ロンドンのバスの中で、飛行機事故の生存者の1人であるゲイリー・ロッシントンと悲劇について語り合ったことも振り返っています。

「僕は彼に“ゲイリー、僕はね、もし僕があの場にいたら、何か言えたかもしれない、何かできたかもしれない、何かを変えられたかもしれない、といつも思っていたんだ”と言ったんだけど、彼は“リッキー、いいか、止めることはできなかったんだ。どうしようなかったんだ。率直に言わせてもらうと、リッキー、あのとき君があそこにいることは運命ではなかったんだ。今ここにいるために生まれてきたんだよ”と言っていた」