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エレクトリック・ライト・オーケストラ(ELO)のキーボード奏者リチャード・タンディ死去

2024/05/02 09:08掲載(Last Update:2024/05/02 14:52)
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Jeff Lynne and Richard Tandy of ELO, photo by Michael Putland/Getty Images
Jeff Lynne and Richard Tandy of ELO, photo by Michael Putland/Getty Images
エレクトリック・ライト・オーケストラ(Electric Light Orchestra / ELO)のキーボード奏者、リチャード・タンディ(Richard Tandy)が死去。長年のバンドメイトであるジェフ・リン(Jeff Lynne)が発表。76歳でした。

以下、ジェフ・リンの声明より

「長年のコラボレーターであり、親愛なる友人であるリチャード・タンディの訃報に接し、大きな悲しみを感じています。彼は素晴らしいミュージシャンであり、友人でした。一緒に過ごした一生の思い出を大切にしたいと思います。シーラとタンディの家族に愛を送ります。ジェフ・リン」

リチャード・タンディは英バーミンガム生まれ。モーズリー・スクールに通っていた時に、後にザ・ムーヴ(The Move)やELOのドラマーとなるベヴ・ベヴァンと出会う。

後にELOのメンバーとなるリンとロイ・ウッドが在籍していたザ・ムーヴでは、1968年のヒット曲「Blackberry Way」でキーボードを担当した。タンディはまた、トレヴァー・バートンが怪我から回復するまでの間、ザ・ムーヴのツアー・キーボーディスト、後にツアー・ベーシストも務めた。

1970年、ウッド、リン、ベヴァンはELOを結成し、翌年の1971年にはタンディが加わった。加入した最初の年はベースを弾いたが、ウッドの脱退後、リンがグループのリーダーになると、タンディはキーボードに転向した。彼のサウンドはバンドをチャートのトップに押し上げるのに貢献した。彼の膨大な楽器の中には、ピアノ、ミニモーグ、クラビネット、ウーリッツァー・エレクトリック・ピアノ、メロトロンなどが含まれる。

タンディは1973年の『ELO 2』から1986年の『Balance of Power』まで、ELOの全アルバムに参加。1974年のアルバム『Elodorado』以降、彼はリン、ミュージシャンでアレンジャーのルイス・クラークとともに、バンドの有名なストリングス・アレンジを手がけた。

タンディは1986年のアルバム『Balance Of Power』後にリンがバンドを解散するまで在籍した。2000年から2001年にかけて、アルバム『Zoom』を引っ提げて短期間の再結成を行った際にもリンとともにバンドに参加した。

リン自身がすべての楽器を演奏した実質的にはリンのソロ作品でもある2001年の『Zoom』と2019年の『From Out of Nowhere』(ジェフリンズELO名義)にもゲスト参加した。

ELO以外では、同じバーミンガムのミュージシャンであるデイヴ・モーガン(マグナムでプレイしていた)とタンディ・モーガン・バンドを結成し、1985年にコンセプト・アルバム『Earthrise』をリリースした。