エイドリアン・ブリュー(Adrian Belew)、
トニー・レヴィン(Tony Levin)、
スティーヴ・ヴァイ(Steve Vai)、
トゥール(Tool)の
ダニー・ケアリー(Danny Carey)が組んだ、1980年代の
キング・クリムゾン(King Crimson)を演奏する新しいバンド、
BEAT。発起人であるブリューは、80年代のクリムゾンの何が特別なのか、リック・ベアトが行った最近のインタビューで説明しています。
その理由のひとつは、キング・クリムゾンが当時誰もやっていなかったことをやっていたからだという。
ブリューによると、80年代のキング・クリムゾンが、すべてが即興で演奏されるジャズ・フュージョンの伝統とも、すべてのアレンジが事前に決めら綿密に計画されたプログレ・ロックの流儀とも違っていたのは、4人が「決してユニゾンで演奏しなかった」ということだという。彼はこう続けています。
「例えば、ジャズ(フュージョン)バンドではユニゾンでラインを演奏するけど、僕たちはそんなことはしなかった。僕たちは最初から、みんなそれぞれ全く違うことをやっていた。それが音楽的に大きな違いだと思う。なぜそうなのか。大好きなフランク・ザッパでさえ、同じラインを一緒に演奏するパートがあるのに、キング・クリムゾンではそれが許されなかった。それは意識的なものだった。個人的にはそれがとても楽しかった。 それが僕らを(他とは違うものに)分けたんだと思う。"他のどのバンドでも聴いたことがある”とは決してならなかった」
さらにブリューは、オーバーダブは「めったに起こらない」と強調し、こう付け加えています。
「それは、ロバートが望んだもうひとつのことなんだ。僕らは4人編成として曲を作り、そのようにレコーディングし、ライヴではそのように演奏する。
僕らがいつもやっていたもうひとつのことは、曲を書いてアレンジを決め、リハーサルを始めるということだった。それから曲を完成させる前に、短いツアーに出る。曲を試奏して、戻って完成させて、最後に録音する。それが僕の在職期間中、ほとんどずっと続いていたんだ」
同じインタビューの中で、当時ロバート・フリップは、その時々の最新曲しか演奏しなかったため、それが時に観客との間に問題が生じたことを回想しています。
「まだ“Discipline”(の時代)だった頃の話だ。オランダでライヴをやったんだけど、40分くらいの曲しかなかったんだ。それで観客は本当に怒った。入場するのに45分も待たされて...十分に演奏できなかったので、同じ曲を何曲か演奏しなければならなかったよ。当時ロバートは“古い曲には手を出さない。これは新しいバンドなんだ”と言っていた。だけど、その時、彼は僕たちに“Red”と“Larks' Tongues [in Aspic]”を演奏することを許可してくれた。レコード1枚分の曲しか持っていなかったから助かったよ。だから急いで2枚目のレコードも作ったんだ (笑) 」