MC5の元マネージャーで、カウンターカルチャーの活動家であったジョン・シンクレア(John Sinclair)が死去。デトロイト・ニュースによると、うっ血性心不全のためデトロイトの病院で亡くなりました。82歳でした。
MC5のマネージメントに加え、詩人、作家、著述家、評論家、学者、活動家、レコーディング・アーティスト、パフォーマーでもあったシンクレアは、急進的なブラック・パンサー党に対抗して名付けられた反人種主義グループ、ホワイト・パンサー党のリーダーとしても知られていた。また
ジョン・レノン(John Lennon)に支持されたマリファナ推進者としてもよく知られている。
ジョン・シンクレアは1941年10月2日、ミシガン州フリント生まれ。ミシガン大学のフリント・カレッジに入学すると、同大学の学内新聞の一員となり、執筆と出版に興味を持つ。大学卒業後、シンクレアはジャズ雑誌のライターとして仕事を始め、1965年には詩に取り組む。彼はスポークン・ワード・パフォーマーとして、また彼が「ジャズ・ポエトリー」と呼ぶものを意識したレコーディング・アーティストとしても活動した。
1967年には、妻のレニとともにアンダーグラウンド新聞『Ann Arbor Sun』を創刊。同じ頃、ホワイト・パンサー党のリーダーになるとともに、シンクレアはマリファナを擁護するようになり、トラブルに巻き込まれるようになった。
シンクレアは60年代半ばからるMC5のマネージメントを始め、1968年にデトロイトで彼らの名作ライヴ・アルバム『Kick Out the Jams in Detroit』をレコーディングしたときも一緒だった。
シンクレアはマリファナ所持で過去に2度逮捕された後、1969年にマリファナ所持で逮捕され、懲役10年を言い渡された。その刑の重さに、音楽界の多くが彼のために結集した。
1971年、ジョン・レノンとオノ・ヨーコはこの判決に抗議するため、1万5千人を集めたアナーバーの集会に参加した。数日後にシンクレアは釈放された。レノンは後に、1972年のアルバム『Some Time in New York City』に「John Sinclair」という曲を収録した。
同じくデトロイトの音楽界の伝説的存在である
イギー・ポップ(Iggy Pop)は、彼の訃報を受け、SNSにシンクレアに追悼コメントを発表しています。「彼は本当に興味深い男で、唯一無二の存在だった。ありがとう」