シカゴ(Chicago)のメンバー、
ジェームズ・パンコウ(James Pankow)は、シカゴが
ジミ・ヘンドリックス(The Jimi Hendrix Experience)のオープニング・アクトをかつて務めていたとき、ジミ・ヘンドリックスと一緒にレコーディングしようと計画していたことについて、米ビルボード誌の最近のインタビューの中で話しています。
■ジミ・ヘンドリックスのオープニング・アクトを務めたこと
「僕たちは(ウェスト・ハリウッドのサンセット・ストリップにあるナイトクラブ)ウィスキー(ア・ゴーゴー)の新しいハウス・バンドのような存在になっていた。
ロサンゼルスを行き来するビッグ・アクトは休日の夜に、地元で何が起こっているのか、次の注目は何なのかをチェックするために、ウィスキーを訪れていた。
僕たちは楽屋でステージに戻るのを待っていて、ドアを開けたら、男が立っていた。“誰だ?” “ちょっと待って。ジミ・ヘンドリックスじゃないか?”となった。彼は“君たちのホーン・セッション見事だし、俺よりも優れたギタープレイヤーもいる。一緒にツアーに出ないか?”と言ったんだよ。
あとは歴史だ。僕らは彼のオープニング・アクトになった。僕らには決して得られなかった露出を得ることができた。ヘンドリックスは神だった。ライヴのステージに立つと、観客が“ジミがいい、ジミがいい”と言っているのを覚えているよ(笑)」
■ジミ・ヘンドリックスと一緒にレコーディングしようという話は本当か?
「ジミと(ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのメンバーである)ノエル(レディング)とミッチ(ミッチェル)と“一緒にアルバムを作ろうぜ”と話していたよ。ヘンドリックスは大喜びだった。
とても魅力的な話だよね。(シカゴのオリジナル・ギタリスト兼ヴォーカリストの)テリー・キャスとジミ・ヘンドリックスは、お互いに威圧し合っていた。2人ともお互いを高く評価していたので、お互いに緊張していた。二人はサウンドを比べることができなかった。ツアーの大半の間、彼らはお互いに近づくことを恐れていた。でも、一緒に仕事をするうちに、お互いに打ち解けてきて、アルバムのプロジェクトについて真剣に話し合うようになった。ヘンドリックスとシカゴのマッシュアップだよ。その後、ジミがいなくなり、テリー・キャスもいなくなった。もし僕たちがコラボレーションしていたら、どんな結果になっていただろうといつも考えている。(ヘンドリックスは1970年に、キャスは1978年に亡くなった)」