「“Sweet Child o' Mine”の著作権料として1万ドルのオファーを受けたことがある。金がないときにね。(当時は)電話セールスの仕事をしてリハーサルの場所代を払っていた。ラーメンを食べる余裕もない日もあった。1万ドルあれば金持ちになれるような気がしたよ。彼は頭が良くて、(バンドの可能性を)知っていた。彼は俺たちがクラブで演奏しているのを見ていた。音楽出版が何を意味するかは知らなかったけど、彼にとって1万ドルの価値があるなら、少なくとも俺らにとってはそれだけの価値があるはずだと思ったんだ」
同じインタビューの中で、デビュー・アルバム『Appetite for Destruction』について、最終的にはマイク・クリンクに落ち着いたものの、マッケイガンはポール・スタンレーがアルバムのプロデュースに興味を示していたことも話しています。