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元クラフトワークのカール・バルトス、コンピューターはクラフトワークの音楽プロセスに悪影響を与えたと振り返る

2024/02/21 21:36掲載
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Kraftwerk
Kraftwerk
クラフトワーク(Kraftwerk)に1975年から1990年まで在籍したカール・バルトス(Karl Bartos)は、クラフトワーク時代について「コンピューターがあれば、創造性を発揮する時間が増えるという考えだったが、それは正反対だった」と語り、コンピューターはクラフトワークの音楽プロセスに悪影響を与えたと、MusicRadarのインタビューの中で振り返っています。

「クラフトワークでは“マン・マシン”というコンセプトがあった。これはフリッツ・ラングの映画『メトロポリス』からのものだけど、僕たちは(昔は)部屋でお互いの目を見て、一緒に演奏していた。僕たちのコミュニケーションを音楽にしたんだ。転機となったのはデジタル化で、クラフトワークが組織になったとき、僕たちは現代的ではなくなった (笑)。その代わりに、僕たちはノスタルジーのセールスマンになった。

コンピューターが登場したとき、それはビジネスマンの夢だった。最初の頃、僕たちは自分たちのスタジオをよく“エレクトロニック・ガーデン”と呼んでいたけど、そのガーデンは工場農業へと発展していった。『Computer World』を書いたときは、僕たちはまだ人間同士だった。

僕たちはMusic and Rhythm Laboratoryのシーケンサー、別名Friend-Chipの“ミスター・ラボ”で演奏していた。クラフトワークもこの頃、Synthanorma Sequenzerを使っていたけど、やがてコンピューターがやってきて、僕たちをオルゴールにしてしまった。僕たちはオルゴールになり、脳もデジタル化された。僕たちはすべての時間をテクノロジーで問題を解決することに費やしていた 。

(かつての)クラフトワークは、スタジオに行って演奏を始めると目指すものがあった。あるいは、ただ即興を楽しむこともあった。お互いに話して、楽しんで、お互いの目を見て、そのすべてを音楽に反映させていた。それがすべての秘訣だった! コンピューターがあれば、創造性を発揮する時間が増えるという考えだったが、それは正反対だった。僕たちは、音の整理やコンピューター技術に時間を費やしすぎた。人間がすべての中心ではなく、コンピューターが中心だった。僕たちはコンピューター産業に奉仕していたんだ」

Q:皮肉なことに、コンピューターはクラフトワークの音楽プロセスに悪影響を与えたということですか?

「そうだね、僕たちはお互いに話すこともなかったし、スタジオにはたくさんのエンジニアが来ていた。今ではどの企業もコンピューターが必要だと考えている。そんなことはないんだけど、この業界はとても賢いから、誰にでもコンピュータを売っているんだ......お店にも、小学生にもね。彼らは皆、これが僕たちの未来だと考えているようだが、そんなことはない。未来は僕たちが作るものだよ。

クラフトワークのパートナーの何人かは、それが進歩だと信じている人もいたが、僕はそれについていけなかった。革新と進歩は同義語ではないと思う。機関銃や原子爆弾が人類の進歩だと思うだろうか? 僕はそうは思わない」

Q:音楽におけるAIについてどうお考えですか?

「AIは過大評価されていると思う。人間の論理のアーカイブに過ぎない。

『グーテンベルクの銀河系』 (60年代初頭に出版されたマーシャル・マクルーハンの名著) や『モナ・リザ』、『ゴルトベルク変奏曲』をリミックスするとしたら、コピー&ペーストで何ができるのだろう? 僕にはわからない! シリコンバレーの一部の人たちからすると、それは夢のような話なんだと思う。彼らは本当に巧妙にAIを売り込んできた...その結果はどうなった?」

Q:クラフトワークの初期の頃、手のひらの上に機能的な音楽スタジオがある時代を想像していましたか?

「いや、あんまり。『Computer World』というアルバムを作ろうと思いついたとき、僕はいつも、ウィリアム・ギブスンの(長編SF小説)『ニューロマンサー』(※電脳未来の暗黒面を華麗かつ電撃的に描いた“サイバーパンク”の代名詞的作品)を例えに出していた。タイプライターで書かれたものだった。アナログだった。彼が頭の中で想像していたことは、時代をはるかに先取りしていた。だから、『Computer World』を作ったときも、モーグ・シンセ、ARPシンセ、16ステップ・シーケンサーを使ったけれど、頭の中にはそのイメージがあった。2023年に理論上、携帯電話を通じて世界中のすべての人に自分の音楽を届けることができるなんて、想像もできなかったよ」