デトロイトの伝説的ギタリストである、
MC5の創設メンバーの
ウェイン・クレイマー(Wayne Kramer)が死去。クレイマーとMC5のSNSアカウントで発表。75歳でした。
以下、クレイマーのSNSアカウントの声明より。
「ウェイン・クレイマーは本日、膵臓がんのため安らかに息を引き取りました。彼は音楽、文化、そして優しさに革命を起こしたことで記憶されるでしょう。
ウェインに敬意を表したい方は、彼の非営利団体ジェイル・ギター・ドアーズへの寄付をお願いします」
クレイマーは1963年にMC5(デトロイトのルーツに敬意を表して“Motor City Five”の略)を結成。ガレージ・ロックとブルース・ロックにサイケデリア、フリー・ジャズ、左翼政治を融合させ、音楽的に冒険的であると同時に政治的にも刺激的なライヴ体験を作り出したワイルドな演奏ですぐに注目を集めた。
バンドがレコーディングしたアルバムはわずか3枚。デビュー作である1969年のライヴ・アルバム『Kick Out The Jams』はパンクの原型となる名作となり、そのハイエナジーなタイトル・トラックはバンドの代表曲となった。それに続く、スタジオ・アルバムの1970年『Back In The USA』、1971年『High Time』には、それぞれ革命的な熱気が込められていた。彼らは1972年までに解散した。
クレイマーの影響力はステージの枠を超え、政治的、社会的活動に深く関わるようになった。彼は公民権、人種平等、ベトナム戦争終結を提唱した。1975年には、連邦捜査官のおとり捜査員に麻薬を売ったことで法的トラブルに巻き込まれ、4年の実刑判決を受けた。
1979年の出所後、クレイマーは音楽に復帰し、Was Not Was、Gang Warなどで活動。また、他のアーティストのセッション・ギタリストやプロデューサーとしても仕事をした。80年代の大半をニューヨークで大工として働き、90年代にソロ・キャリアをスタートさせると、パンク・レーベルのエピタフと契約し、かつてのバンドの激しいスピリットを受け継いだアルバムを発表して好評を博した。5枚のスタジオ・アルバムを発表した。
21世紀になり、クレイマーはMC5の名前を復活させた。2004年にロンドンで行われたライヴでは、オリジナル・メンバーのマイケル・デイヴィス、デニス・マシンガン・トンプソンとともにステージに立った。
2018年、クレイマーは『Kick Out The Jams』50周年を記念して、MC50の旗のもと、サウンドガーデンのキム・テイルとマット・キャメロン、フガジのブレンダン・キャンティを含むラインナップでツアーに出た。
2022年、クレイマーはボブ・エズリンがプロデュースするMC5の新しいアルバムをレコーディングする計画について語った。その際、50年以上ぶりの新曲「Heavy Lifting」を一部公開していた。アルバムは2022年10月にリリースされる予定だったが実現しなかった。しかし、2023年末にクレイマーは2024年春リリース予定であることを明らかにしていた。
MC5は何度もノミネートされながら、まだロックの殿堂入りを果たしていないが、世代を超えてミュージシャンたちに影響を与え続けているのは間違いない。