【update:2024/02/01 18:22】
マーティ・フリードマンは米Guitar World誌のこの記事を否定。X(旧ツイッター)に以下のように投稿しています
「その英語の記事は、恐らくAIで作ってるのでしょう。僕はそんなネガティブな話し方は絶対しないし、王道ギター雑誌なのに、写真では僕はどこから見てもJACKSONのマーティモデルを弾いてるのに、記事中では僕のギターメーカーはIBANEZだと間違って書いてます。向こうのギターメディアでも疑わなきゃ。」
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【オリジナル】
マーティ・フリードマン(Marty Friedman)は伝統的なギター・ソロが滅びることを望んでいるという。米Guitar World誌の新しいインタビューの中で「伝統的なギター・ソロは、ゆっくりと痛みを伴う死を迎えてほしい。ギター・ソロには創意工夫が必要だ。聴く人、特に演奏を学んでいない、ただ聴いているだけの人を夢中にさせるものが必要なんだ」と語っています。
この新しいインタビューでは、彼がギター・ソロの現状について強く感じている理由を具体的に説明しています。
フリードマンはギター・ソロについて「普通は、リード・ギタリストがやってきて、8小節のソロを弾き、くだらないフレーズをたくさん弾いて、感動を与えるようなホットで派手な何かを加えて、それで出ていく」と説明。
フリードマンはこのような考え方に陥ることが「アメリカのメインストリーム・ミュージックでギター・ソロを殺した」と指摘し、彼は「“何か派手なことをして出て行かなければならない”という義務感、それがソロという概念の死だ」とも話しています。
そして冒頭で紹介した発言が出ます。
「伝統的なギター・ソロは、ゆっくりと痛みを伴う死を迎えてほしい。ギター・ソロには創意工夫が必要だ。聴く人、特に演奏を学んでいない、ただ聴いているだけの人を夢中にさせるものが必要だ」
さらに続けます
「ギターを学んでいる時、自分ができないことに感動しがちだよね? ギターを始めたばかりの若い人なら、その興奮は魔法のようなものかもしれない。“どうやったらあんなことができるんだ!”ってね。それは素晴らしい......でも、みんな(※ただ聴いているだけの人)の目にはゼロ以下しか映らないんだよ。
そういう人たちに何かを感じさせるギター音楽が必要なんだ。それを実現するためにソロに何かをもたらすのはギタリストの責任なんだよ」
フリードマンはこう締めくくっています。
「素晴らしいギター・ワークが山ほどあるので、将来は有望に見える。楽器をクールな方法で見ている人たちによる、エキサイティングなアプローチがたくさんあるんだ。
でも、他の8小節やタッピングのようなものは、もう終わりにしなければならない。もっと高い次元で僕たちを結びつける、メロディ的にユニークな何かがあるはずだ。それが今の僕がギターに求めているものだし、若いプレイヤーもそれを求めていることを願っているよ」