兄弟でバンドをやるのは難しい場合もあります。不仲を経て現在は活動を共にする
ジーザス&メリー・チェイン(The Jesus And Mary Chain)のリード兄弟が兄弟でバンドをやる時に気を付けていることを語る。またシェイン・マガウアンとの交流、音楽に目覚めたキッカケ、映画『ロスト・イン・トランスレーション』について、イレイジャーの楽曲に参加した時のことなども語っています。英ガーディアン紙が企画した、ファンからの質問に答える特集より
Q:兄弟関係がバンドにおいて難しいものであることは、あなた自身を含む多くのバンドが証明しています。兄弟として、またバンドメイトとして、どのようにバランスをとっているのですか?
ジム・リード(弟):
「もし俺が何かを学んだとしたら、それは兄との付き合い方。彼も同じだ。昔はお互い譲れない一線があって、90年代はお互い我慢できなかった。事件のほとんどがスマートフォン以前のことなので、YouTubeにアップされていないことに永遠に感謝しているよ。ある晩、DJをやっていたとき、俺たちはフロアを転げまわってケンカをし、みんなの怖がっている表情を見上げたこともあった」
ウィリアム・リード(兄):
「1998年の(ロサンゼルスの)ハウス・オブ・ブルースのライヴで、ジムは泥酔して曲を覚えていなかった。俺は彼をステージから追い出し、歌おうとしたんだが、歌詞がわからなかった。そのあと9年間バンドは終わっていたけど、もう長い間ケンカはしていない。アルコールが絡まなければスムーズにいく。俺たちは大人になった。言い争いばかりしていたくはないからね」
ジム:
「バンドをやらないことで、関係が修復された。ニューアルバム(『Glasgow Eyes』)の“Jamcod”という曲は、その夜のことを歌っているんだけど、今は何を言ってはいけないか2人ともわかっている」
Q:ジムはかつて「ツアー後はいつも、俺たちはお互いを殺したいと思っていた。最後のツアーの後、俺たちはやってみた」と言っていた。誰が誰を殺したの?
ウィリアム:
「ジムを殺したかもしれない、俺の方が大きいから」
ジム:
「ウィリアムを殺していたかもしれない。ゴールドフィンガーがジェームズ・ボンドを殺そうとしたように、テーブルに縛り付けて、レーザーで」
Q:15歳のとき、何かがおかしいと思ったので、『Psychocandy』のレコードを購入したレコード屋に持って行ったことがあった。あのレコードの音をどう表現しますか?
ジム:
「『Psychocandy』は、俺たちが音楽シーンの悪いところを全部直そうとしていた作品だったから、当時ラジオから流れていた下痢とは正反対の音に聴こえたなら、上出来だ」
Q:シェイン・マガウアンと一緒にやった曲「God Help Me」を覚えています。意気投合しましたか?
ウィリアム
「シェインをよく街中で見かけたよ。彼はいつも酔っ払っていて、いつもこう言っていた。“ジム!ジム!お前は天才だ!”。俺は“俺はウィリアムだ”と言ったんだけど、あまりに頻繁に言うので、俺は彼にジムと呼ばせていた。俺たちはポーグスの大ファンだった。この曲は自分のことを書いたんだけど、シェインが歌うといい感じになると思ったんだ。あの男をスタジオに呼ぶのは簡単じゃなかった。彼はヘロインもやっていたしね。でも、最終的にはうまくいったし、素晴らしかったよ」
ジム
「まっとうな世界なら、シェインは40代で酒をやめて90代まで生きただろうけど、彼はみんなが彼に望んでいたことすべてをやった素晴らしい人だった。彼は以前、ソーホーのマダム・ジョジョで俺たちと一緒にこの曲を歌ったことがある。俺たちはすごく緊張していて、酔っぱらっていたんだけど、彼はシラフで現れて、俺たちを堕落した人たちみたいに見ていた。ライヴは素晴らしく、彼はまるで(シェインがポーグスを結成する前にやっていた)ニップル・エレクターズに戻ったかのように歌った。純粋なパンク・ロックだった」
Q:1980年代、(クリエイション・レコードの)アラン・マッギーが、あなたたちはセックス・ピストルズ以来の最高の存在だと言ったことに同意しましたか?
ウイリアム:
「誰かが自分のことを“史上最高だ”と言っているの信じるのは簡単だけど、その後、アラン・マッギーが(クリエイションの初期メンバーである)ザ・レジェンドにも同じことを言っていた。アランはあらゆるものを“天才”と呼んだ。チョコレートバーだって天才かもしれない。大げさな言い方をすることで、俺たちはポジティブな注目を集めたが、ネガティブな注目もたくさん集めた。ジムは2回も殴られたし、俺たちにビンを投げるためだけにライヴに来る人もいた。それで俺たちはマッギーにトーンダウンするように言ったんだ」
ジム:
「きっかけはNMEかSoundsだったと思うけど、マッギーは(彼も認めると思うけど)マルコム・マクラーレンの時期だったんだ。それを読んですぐに思った、“これは危険だ ”とね。俺はニック・ケイヴのライヴで追い出された。“誇大宣伝”という言葉に神経をとがらせていたから、宣伝がすべて良い宣伝になるとは思っていない。結局、俺たちは6ヵ月間離れた。ライヴでの暴動や暴力はすべて収まると思っていたので、戻ってきたときには、そうなっていたよ」
Q:あなたたちはどのように音楽に目覚め、どのバンドやアーティストに最初に恋をしましたか?
ジム:
「ウィリアムは誕生日にダンセッテ(のレコードプレイヤー)を買ってもらって、ビートルズやボブ・ディランのレコードも買ってもらっていた。ビートルズで音楽に目覚めた。そしてグラム・ロックからパンクへの発見の旅が始まった。俺たちをイースト・キルブライドから架空の世界へと連れ出してくれたんだ。ロキシー・ミュージックのようなバンドなら“こんなことできるわけがない”と思うかもしれないけど、ラモーンズの“Blitzkrieg Bop”を一晩中演奏してみて“俺はミュージシャンだ!と思ったよ」
ウィリアム:
「俺はグラスゴーの板金工場で汚くて危険な仕事をしていた。デイリー・レコード紙に掲載されたジョニー・ロッテンのインタビュー記事で、彼が“行き詰まった仕事では働かない”と語っていたことが、俺に大きな影響を与えた。1年以内に仕事を辞めた。ラモーンズを聴く前は、バート・ウィードンの(ギター教則本)『Bert Weedon's Play In A Day』の“Coming Round the Mountain”を弾いていた」
Q:2003年の映画『ロスト・イン・トランスレーション』のラストシーンでの「Just Like Honey」は、映画における音楽の最も素晴らしい使い方のひとつです。どの程度の関与があり、その仕上がりには満足していますか?
ウィリアム:
「俺たちが関わったのは“イエス”と言ったことだけだ。オファーはあまりにも低かったので、断ろうと思っていたんだけど、映画に携わっていた知り合いが、(脚本家兼監督の)ソフィア・コッポラにはお金はないが、この曲を熱望していたので、もし断ったらショックを受けるだろうと教えてくれたんだ」
ジム:
「俺たちの曲が映画で使われることは何度もあったし、ラジオから8秒間流れるだけだったのもあった。だから、あのような素晴らしい映画でクライマックス・シーンで使われたのは素晴らしかったことだったよ。多くの新しいファンを獲得することができた」
Q:今までで最高の罵声は?
ウィリアム:
「罵声はウィットに富んだものではない。“くたばれ”になりがちだ」
ジム:
「一度ニューヨークで、(映画『タクシードライバー』のキャラクター)トラヴィス・ビックルみたいな格好をした戦闘服姿の男がいて、俺をじっと見つめながら切り裂くようなジェスチャーをした。俺は”あいつが来たら俺はおしまいだ”と思った。それから彼はステージに上がろうとした。警備員4人がかりで押さえつけて追い出したよ」
Q:イレイジャーの曲「Drama」で「ギルティ!(有罪だ!)」叫んだのは本当ですか?
ウィリアム:
「本当だよ。俺たちは同じスタジオにいたんだけど、彼らのプロデューサーがたくさんの人に“ギルティ!”とシャウトさせたがったんだ。おかしかったのは、彼らのヴォーカルのアンディ・ベルは、音楽新聞で俺たちの最新アルバムを酷評していたから、俺たちがスタジオに入ると彼は真っ白になった。でも、彼が俺たちを恐れる理由はなかった。評判とは裏腹に、俺たちは穏やかな人間だからね。紅茶とトーストを好む人たちだよ」