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シンガーソングライターのメラニー死去 69年ウッドストック出演 「心の扉をあけよう」が全米ナンバー1ヒット

2024/01/25 10:04掲載
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Melanie in 1971, photo by Evening Standard/Hulton Archive/Getty Images
Melanie in 1971, photo by Evening Standard/Hulton Archive/Getty Images
1969年のウッドストック・フェスティバルにも出演。全米ナンバー1に輝いたヒット曲「心の扉をあけよう(原題:Brand New Key)」などで知られるシンガーソングライターのメラニー(Melanie)が死去。彼女の公式Facdebookページにて彼女の子供たちが発表。76歳でした。

以下、声明より

「2024年1月23日、ママは安らかにこの世を去り、来世へと旅立ちました。

私たちは悲しみに打ちひしがれていますが、私たちの母に対する皆さんの愛情に感謝し、母が皆さんをとても愛していたことを伝えたいと思います。彼女はこの時代で最も才能があり、強く、情熱的な女性のひとりであり、彼女が書いたすべての言葉、彼女が歌ったすべての音はそれを反映していました。

私たちの世界は、彼女の不在でずっと薄暗くなり、どんよりとした雨のテネシーの色彩も淡くなりました。しかし、彼女はまだここにいて、私たち全員を、皆さん全員を、星から微笑みかけていることを私たちは知っています。

今夜、1月24日(水)午後10時(アメリカ中部時間)、メラニーを偲んでキャンドルを灯してください。 高く、高く、また高く。暗闇を照らし、妻であり、母であり、祖母であり、曾祖母であり、また非常に多くの人々の友人であった素晴らしい女性を偲んで、私たちみんなでつながりましょう」

メラニー、またはメラニー・ソフィカとして知られるメラニー・アン・ソフィカ・シュケリック(Melanie Anne Safka-Schekeryk)は1947年2月、ニューヨークのクイーンズで生まれた。音楽一家に育った彼女は、ニューヨークのカウンターカルチャー・シーンが急成長する中、早くからフォーク・ミュージックに興味を持つようになる。

1960年代半ばにグリニッジ・ヴィレッジのザ・ビター・エンドなどのフォーク・クラブで腕を磨いた。最初にコロンビア・レコードと契約した後、ブッダ・レコードに移籍。1969年、「Bobo's Party」がフランスでチャート1位を記録、オランダでも「Beautiful People」がヒットするなど、ヨーロッパでのチャートで成功を収めた。

メラニーのアメリカでのブレイクのきっかけとなったのは1969年の<ウッドストック・フェスティバル>で、その体験に触発された彼女は「Lay Down (Candles in the Rain)」を書き、1970年にはビルボード・ホット100で6位を記録した。

メラニーはその後も「Peace Will Come (According to Plan)」やローリング・ストーンズ「Ruby Tuesday」のカヴァーなどのヒットを放ち、1971年には自身のレーベル、ネイバーフッド・レコードを設立した。ネイバーフッドからの最初のシングル「Brand New Key」は全米ナンバー1に輝くなど世界数カ国でヒットし、彼女の代表曲となった。

最後のアルバムは2010年の『Ever Since You Never Heard Of Me』。彼女の最後のライヴは2022年だった。

Varietyによると、メラニーは最近、レーベルのCleopatraと契約し、過去作品の大半を再発する準備を始めていたという。今月に入り、彼女は32枚目のアルバムとなるカヴァーLP『Second Hand Smoke』の制作に取り掛かっていた。