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「ロビーが恋しい」 マーティン・スコセッシが47年間続いたロビー・ロバートソンとの仕事と友情を語る

2024/01/17 20:08掲載
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Robbie Robertson & Martin Scorsese - Photo by Matt Mahurin
Robbie Robertson & Martin Scorsese - Photo by Matt Mahurin
「ただただロビーが恋しいんだ」。マーティン・スコセッシ(Martin Scorsese)監督は、47年間続いたロビー・ロバートソンと(Robbie Robertson)の仕事と友情について語る米Varietyの新しいインタビューの中でこう話して始めています。「友情、仕事、彼が語った物語......そのすべてがね」。

ロバートソン最後の作品は、スコセッシ監督の映画『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』のサウンドトラックでした。アカデミー賞の最優秀オリジナルスコア部門にノミネートされるとも予想されています。

スコセッシは「このプロジェクトを一緒にやったことは、私たち2人にとって大きな意味があった。2人の仕事上の関係の集大成のようなものだったんだ」と振り返っています。

スコセッシとロバートソンの関係は、『ラスト・ワルツ(The Last Waltz) 』 として有名な、サンフランシスコで撮影されたザ・バンド(The Band)の解散ライヴの6週間前から始まりました。

ロバートソンがスコセッシに声をかけるまで2人は面識はありませんでしたが、2人は1976年の解散ライヴ終了後に急速に親交を深めていきました。1980年の『レイジング・ブル』以降、ロバートソンは音楽スーパーバイザー、プロデューサー、作曲家として、スコセッシの映画の音楽キュレーターとしての役割を担いました。

スコセッシは『ラスト・ワルツ』での幸運な出会いが、美しい友情の始まりになるとは思ってもいなかったという。

「『ミーン・ストリート』をプロデュースしたジョナサン・タプリンは、(ピーター・ポール&マリーやボブ・ディランのマネージャーだった)アルバート・グロスマンと一緒に音楽業界で働き、ザ・バンドのツアー・マネージャーを務めていた。彼がロビーと私を引き合わせてくれた。電話ではなく、中華料理店で直接話したとき、私たちは一緒に仕事ができそうだと思った。でも、私たちのどちらも、この先50年も一緒に仕事をするとは思っていなかったと思う」

『ラスト・ワルツ』の撮影後、スコセッシとロバートソンは感情的、精神的、美的な絆を結んだという。

「彼は自分の音楽に生きていた。私は自分の映画に生きていた。ロビーと私がハリウッドで家をシェアしていたとき、彼は私に音楽を聴かせ、私は彼に映画を見せ、私たちは提案や考え、印象や情熱を共有し、そのすべてを作品に注ぎ込むことをやめなかった。特に意識していたわけではない。今思えば、それは私たちの間で自然に起こったことだった。それぞれがインスピレーションを探していたという単純なことだったのかもしれない。

私は、彼が行きたいと思い、行く必要があるとわかっていたところに行って欲しかった。彼自身の遺産や魂の奥深くへ行き、それを世に出してほしかった。そして彼はそれを実行した」

スコセッシとロバートソンは互いに協力することに同意した後、特に堅苦しいルーティンはなかったという。スコセッシが曲、リズム、イメージ、楽器を思い浮かべれば、彼はそれを伝えました。

「あらゆる意味でのコラボレーションであり、ルーティンは変化し、発展していったのだと思う。私たちは仕事をしていくうちに、共通の言語を見つけたのだと思う。

『ハスラー2』で初めて彼にちゃんとしたスコアを作ってもらったとき、彼はどうやってそれを作るのか理解するのに時間がかかった。ロビーは“スポッティング(映像と音楽とを同期させる手法)”の経験がなかったので、彼は音楽を録音して私に渡せばいいと思っていたんだよ。

それから30年後、『アイリッシュマン』で次の音楽を担当する頃には、それを理解していた。後者の映画で、私はロビーに、50年代初頭のフランスのギャング映画、特に『現金に手を出すな』で顕著だった特定のハーモニカの音を探していると話した。ロビーはすぐに、誰を起用すべきかわかった。Frederic Yonnetだった。“でも、今すぐレコーディング・スタジオを予約しないと、彼がこの町にいるのは2日間だけだから”。いつもそんな感じだった。“君が何を求めているかはよくわかっている。それを実現できるミュージシャンはここにいる。今すぐ彼を予約してくれ。さもないと、彼を失うことになる!”ってね」

ロバートソンがスコセッシのためにしたことの本質は流動的で、映画の作曲家、音楽のキュレーター、プロデューサーなど、さまざま役割の仕事をしていました。この仕事ぶりは、特定の映画のニーズに応えたものなのか、それとも別のところから来たものなのか? スコセッシはこう話しています。

「プロジェクトごとに違う。その作品に必要だと私が思うものであれば何でもよかった。私たちの間では、お互いに印象に残った音楽を送り合ったり、写真を送ったり、可能性を提案したり、そういうやり取りがあった。リズム感やムード、感情の陰影......直感やフィーリング。どんなプロジェクトでも、ロビーは私が求めていたものを与えてくれた。そして、たいていの場合、それ以上のものを与えてくれたんだ」

スコセッシは今後、彼とロバートソンが1976年以降に築き上げてきた映画の系譜に合う新しい音楽パートナーを見つけなければなりませんが、それについてはこう話しています。

「何か違うものをもたらしてくれる人と仕事をするつもり。誰もロビーの代わりが務まるとは思っていない」