Red Hot Chili Peppers / The Uplift Mofo Party Plan
レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(Red Hot Chili Peppers) の『The Uplift Mofo Party Plan』(1987年)と『Mother's Milk』(1989年)をプロデュースしたマイケル・バインホーンですが、最初に彼らのデモを聴いたときは「最悪」「ひどい」と思ったという。しかし、聴き続けているうちに「ちょっと待てよ、これは本当に面白いな」と思い始め、プロデュースを引き受けることなったという。リック・ベアトとの最近のインタビューで、レッド・ホット・チリ・ペッパーズとの仕事を振り返っています。
「1987年のある日、僕はEMIレコードで、マイケル・バリックマンという面識のない男に会った。彼は僕の弁護士の知り合いで、弁護士のハロルドが“会いに行くべきだ”と言っていた。
彼は本当に面白かった。とてもゆっくりと理路整然と話し、じっと僕を見つめていた。彼は“レッド・ホット・チリ・ペッパーズというグループを知ってる?”と言ったので、僕は“そうだと思う”と言った(笑)。彼はカセットテープを持ってきて、“これを聴いてほしい。どう思うか教えてほしい”と言われた。
家に帰って聴いてみた。“最悪だ”と思った。彼は僕に新作のデモをくれた。“ひどい”と思ったよ(笑)」
そんな第一印象にもかかわらず、マイケルは「聴き続けた」という。そして、あるときから、彼の中で変わり始めました。彼はこう話しています。
「突然、“ちょっと待てよ、これは本当に面白いな”と思い始めたんだ。ちょっと待てよ、これはすごいぞ!とね」
もちろん、これを最高のものにするためには、まだやるべきことがたくさんありました。バインホーンは続けます。
「アレンジの面で問題があった。それに、楽器のグループ分けの仕方とか、そういう点で、どうもしっくりこなかった。違和感があった。
でも、その音楽には個性があった。聴いていて、さらにのめり込んでいくと、まさに驚異的だった。今まで聴いたことのないものだった。
これはすごい。これは素晴らしい。それでバリックマンに電話をかけたら、とても喜んでくれたよ。
彼らのマネージャーのリンディと話をして、ツアー中の彼らに会いに出かけたんだ。ニューオーリンズからダラスまで、彼らのバンで1日半ほどドライブしたんだよ」
こうして彼とバンドの関係が始まりました。
ベアトが、レッド・ホット・チリ・ペッパーズがアルバム『The Uplift Mofo Party Plan』のためにどれだけの資金を得たのかと尋ねると、バインホーンはEMIが用意した予算を明かし、あの時代にしては「ごくわずか」だったと答えています。
「125,000ドルだった。今の基準で言えば、かなりまともだ。当時の水準からすれば、微々たるものだった。基本的に、その予算からできる限りの力を絞り出さなければならなかった」
レーベルが『The Uplift Mofo Party Plan』をどう思ったかという質問に対して、バインホーンはEMIの反応はそれほど良くなかったと話しています。
「レーベルはあまり乗り気ではなかった。しぶしぶ受け入れたようなものだったと思う。
(最終的に)人々は彼らを冷遇するのをやめた。それは素晴らしいことだった。ミニ・ワールド・ツアーとかもやったしね。あの時、一番誇らしかったのは、彼らがNMEの表紙を飾っているのを見た時だったと思う。あの頃はNMEを読むのが大好きだったからね」
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