Les McCann - Jack Vartoogian/Getty Images
ソウル・ジャズの普及に貢献し、ア・トライブ・コールド・クエストやドクター・ドレーなどヒップホップ・アーティストに数え切れないほどサンプリングされたピアニスト兼ヴォーカリストの
レス・マッキャン(Les McCann)が死去。彼の長年のマネージャーであったアラン・エイブラハムズが12月29日に亡くなったことを明らかにしています。死因は発表されていませんが、ニューヨーク・タイムズ紙などによると、彼は先週、肺炎にかかりロサンゼルスの病院に入院していました。88歳でした。
レス・マッキャンは1935年 米ケンタッキー州レキシントン生まれ。音楽一家で育った。彼は学校のマーチング・バンドでチューバとドラムを演奏し、ピアノはほとんど独学で学んだ。米海軍にいた時、歌のコンテストで優勝し、1956年にテレビ番組『エド・サリヴァン・ショー』に出演した。
除隊後はロサンゼルスに移り、キャノンボール・アダレイ・クインテットへの誘いを断ってトリオを結成。パシフィック・ジャズ・レーベルと契約し、1960年のアルバム『Les McCann Plays the Truth』と『The Shout』で一躍有名になった。この多作時代、彼は主に自身のトリオで活動したが、ベン・ウェブスター、スタンリー・タレンタイン、ジョー・パス、ジャズ・クルセイダーズなどとも共演した。
彼は1968年にアトランティックと契約し、翌年にサックス奏者エディ・ハリスとのコラボレーションによるプロテスト・ソング「Compared to What」をリリースした。マッキャンはもともとこの曲を1966年アルバム『Plays the Hits』でレコーディングしていたが、アルバム『Swiss Movement』でリリースされたハリスとのライヴ・ヴァージョンがヒットとなった。
その後、マッキャンの音楽活動はジャズの枠を超え、ソウル、R&B、そしてロックの分野でも活躍。ウィルソン・ピケット、ステイプル・シンガーズ、サンタナ、アイク&ティナ・ターナーなどと共演した。
1990年代に脳卒中で倒れたことによりキーボード演奏は制限されたものの、その後数十年間は定期的に演奏活動を続けた。
マッキャンはキャリアを通じて60枚以上のアルバムをリリースした。優れたシンガーでもあったマッキャンは、ジャズとR&Bを融合させた作品を作り、ヒップホップ黎明期の多くの楽曲に基盤を提供した。その中には、ノトーリアス・B.I.G.("10 Crack Commandments")、ア・トライブ・コールド・クエスト("After Hours")、スヌープ・ドッグとドクター・ドレー("The Next Episode")、ピート・ロックとC.L.スムース、ウォーレン・G.、スリック・リックなどの楽曲が含まれている。