Band Aid / Do They Know It's Christmas?
全英トップ・ミュージシャンたちが参加したクリスマス・チャリティー・ソング、バンド・エイドの「Do They Know It's Christmas?」(1984年)。「その日のうちに全てのヴォーカルを録音し、ミックスしなければならなかった。24時間のギグだった」というレコーディングを支えたエンジニアのインタビューが復刻。ステイタス・クォーがスパンダー・バレエをトイレに閉じ込めたこと、フィル・コリンズがドラムを叩く順番を一日中辛抱強く待っていたこと、マスタリングに向かうタクシーの中でこの曲をラジオで聴いたことなどの逸話を語っています。
バンド・エイドは、イギリスとアイルランドのロック・ポップス界のスーパースターが集まって結成されたチャリティー・プロジェクトで、1984年、エチオピアで起こった飢餓を受け、発起人のボブ・ゲルドフとミッジ・ユーロにより書かれた「Do They Know It's Christmas?」を同年12月3日にリリースし、大きな成功を収めました。これに触発される形でアメリカではUSAフォー・アフリカが結成され、ライヴエイドなどにつながる一連の大チャリティー・ブームを巻き起こしました。
当時のエンジニア、スチュアート・ブルースは2011年にMusicRadarで、この歴史的セッションを振り返っています。
レコーディングはロンドンのサーム・ウェスト・スタジオで1984年11月25日(翌26日まで)に行われました。スチュアートは当時、まだキャリアをスタートさせたばかりでしたが、最初に依頼された別のエンジニアがタダ働きを拒否したことで、彼が参加することになりました。
ヴォーカルのレコーディングには、ボノ、スティング、ジョージ・マイケル、サイモン・ル・ボンを含む総勢37名ものヴォーカリストが参加しましたが、スチュアートは当初、レコーディング・セッションにどれだけの人が参加することになるのか、まったく想像がつかなかったと明かしています。
「もし誰かが教えてくれていたら、恐怖のあまり二の足を踏んでいたかもしれない。僕はまだ22歳だったしね」
幸運なことに、この曲の楽器演奏(バッキング・トラック)の大部分はすでに完成していたので、スチュアートはヴォーカル録音に集中することができました。
「僕は以前にヴォーカリストたちの多くと仕事をしたことがあったので、みんなが良い人だとは知っていたけど、まだ会ったことのないアーティストもたくさんいたんだ。
ボブ、ミッジ、そして何人かのアーティストが朝9時半に到着し始めた。彼らがミュージシャンで、日曜日であったことを考えると、とても信じられないことなんだよ。しかも、その後も人々が続々と到着したんだ、本当に驚いたよ。その日の夜には、すべてのヴォーカルを録音し、レコードをミックスしなければならなかったんだ。24時間のギグだったんだ。
みんな、ただひたすら取り組んでいたけど、人の多さがストレスになった。僕がヴォーカルを録音しようとしている間、きしむ脚立の上にカメラマンがいた。仲間や(レコーディングの様子を撮影する)報道陣の前でヴォーカルを録音するというのは、かなりのプレッシャーだったと思うよ、アーティストには脱帽だ。彼らがステップアップし、やり遂げたことは賞賛に値するよ。
ヴォーカルのテイクを終えるたびに、フィル・コリンズは飛び上がって“ドラム!”と叫んでいた。当時、フィルはおそらくその部屋で最も有名なシンガーの一人であったけど、彼はドラムを叩く順番を一日中辛抱強く待っていたので、面白かったよ。
慌ただしい一日で、初めてトイレに行ったのは夜の11時頃だったと思う。サームのトイレに行ったら、ドアが全部蹴破られていた。そのことをアシスタントに話すと、彼はスパンダー・バレエがやったことだと言っていた。
僕はスパンダー・バレエのことを知っていたので、彼ららしくなくて、本当に奇妙なことだなと思ったんだ。事の真相は、ステイタス・クォーがスパンダー・バレエが全員トイレに向かうのを目撃し、後を追ってトイレに行き、彼らを閉じ込めて置き去りにしたんだよ!」
午後の半ばまでにほとんどのヴォーカルが録音され、スチュアートと彼のチームはフィルのドラムのレコーディングに移りました。
その後、最後のヴォーカル録音があり、それはボーイ・ジョージでした。彼はアメリカでのツアー中だったため遅れて到着しました。
「ボーイ・ジョージが終わってから、ミッジとボブと僕の3人でミックスを始めた。チャンネル数が限られていたから、シンガーたちはトラックを共有しなければならなかった。
翌日の朝8時までにミキシングを終えて、ボブが『Breakfast Show』での最初のオンエアのために(BBC)Radio Oneに直行するので、彼のために1/4インチのステレオ・テープに録音した。
レコードのマスタリングに向かうタクシーの中で、ラジオから流れてきた曲を聴いたんだよ。そんなことがあったと言える人はあまりいないよね。
ラジオで聴きながら、ミックスについてのメモを書き留めていた。ブランデーを飲み過ぎて眠れなかったから、マスタリングスタジオに着くと、マスタリングエンジニアのスティーヴ・エンジェルに、ひどい音だから何とかしてくれと言った。徹夜で耳が限界になり始めていたんだ。できるだけクオリティを高く保ちたかったし、別のテープ・ヴァージョンを作りたくなかったから、結局、曲を通して7回のEQとコンプレッションの変更をして、カッティング・マシンに直にかけたんだ」
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