BOB DYLAN / THE COMPLETE BUDOKAN 1978
ボブ・ディラン『コンプリート武道館』の日本の制作関係者が発売までの長い道のりを語る動画「ボブ・ディラン『コンプリート武道館』への道」が公開されました。
以下インフォメーションより
ボブ・ディランの初来日公演は1978年2月から3月にかけて東京と大阪で計11公演開催。11月に『武道館』のタイトルで発売されたライヴ盤は翌年に全世界でオフィシャル・リリースされた。録音されたのは1978年2月28日と3月1日の2日間だが、2007年になってマスターテープを発見。長きに渡る発売交渉を経た、初来日から45年目に、当時の関係者が再集結。日本主導の日本独自企画『コンプリート武道館』の発売へと至る。 今回の動画に登場するのは『コンプリート武道館』の制作に関わった日本人4人。1978年に『武道館』を企画・制作した当時のディレクター及び今回の『コンプリート武道館』プロデューサーの菅野ヘッケル。1978年当時武道館の現場で録音し、『コンプリート武道館』では24chマルチ・テープから2023REMIXを行い極上のサウンドに仕上げたレコーディング・エンジニアの鈴木智雄。1978年『武道館』及び『コンプリート武道館』の和と洋の融合、美術品のようなアートワークをデザインしたアート・ディレクター田島照久。今回の『コンプリート武道館』のプロダクト・マネージャー、共同プロデューサーの白木哲也。この4人が初来日時の思い出、当時のライヴ・レコーディングの裏話から、『コンプリート武道館』への道のり・制作過程・秘話などを語る貴重なインタビューを収録している。 単純な再発や復刻ではなく、録音、ミックス、デザイン、印刷、プレス、100%日本人の手で作り上げた正真正銘の「Made In Japan」。すべてを一から隅から隅まで、日本の技術を駆使し創り上げた、日本が世界へ誇る音楽遺産『コンプリート武道館』の壮大なプロジェクトの物語や裏側がわかる証言集となっている。
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■「『コンプリート武道館』への道」出演者のプロフィール:
●菅野ヘッケル(すがのへっける)プロデューサー
1970年にCBSソニーに入社。10年間ボブ・ディラン担当ディレクターをつとめ、1978年にライヴ・アルバム『武道館』を制作。ボブ・ディラン関連のCDやレコードのライナーノーツや、『ボブ・ディラン自伝』の翻訳、『ノー・ディレクション・ホーム ボブ・ディランの日々と音楽』などディランに関する書籍を多数執筆。これまでにディランのショーを約300回見ている日本におけるボブ・ディラン研究の第一人者。
●鈴木智雄(すずきともお)レコーディング・エンジニア
1968年CBSソニーに入社。1980年よりCBSソニー信濃町スタジオのチーフ・エンジニアを務め、1987年に独立。これまでにボブ・ディランをはじめ、シカゴ、サンタナ、BBA、チープ・トリック、マイルス・デイビスなどのライヴ・イン・ジャパン録音を手掛け、幅広いジャンルの国内アーティストのレコーディングに携わる。その音作りへのセンスは、日本のみならず世界のミュージシャンや音楽ファンから絶大な支持を得ている。
●田島照久(たじまてるひさ)アート・ディレクター
多摩美術大学を卒業後、CBSソニー デザイン室でサンタナやマイルス・デイビス、ハービー・ハンコックばどのアルバム・ジャケットを手掛ける。1980年よりフリーランスとして、浜田省吾や尾崎豊など多くのミュージシャンの撮影と、作品のアートディレクターを務め、アニメーション関連のデザインも多く「攻殻機動隊」は企画の立ち上げ時から関わっている。自身による著書として、CG 写真集、アナログ写真集、デザイン本、小説などがある。
●白木哲也(しろきてつや)プロダクト・マネージャー
1988年にCBSソニーに入社。1993年より洋楽セクションで、ボブ・ディラン、ブルース・スプリングスティーン、ビリー・ジョエル、ピンク・フロイド、エアロスミス、マライア・キャリーなどを担当。カタログ・セクションで紙ジャケや再発なども手掛ける。現在はソニー・ミュージックジャパンインターナショナルのゼネラル・マネージャー。