Badfinger / Day After Day
トッド・ラングレン(Todd Rundgren) によると、
バッドフィンガー(Badfinger) の「Day After Day」のプロデューサーは
ジョージ・ハリスン(George Harrison) とクレジットされていますが、実際のプロデューサーはトッドであるという。Noise11.comの新しいインタビューの中で話しています。
「これは本当の話だ。バッドフィンガーは、スタジオ・バンドとして活動していた後期のビートルズのエンジニアだったジェフ・エメリックとアルバムをレコーディングしていた。アメリカのアップルはその結果に満足しなかった。彼らが求めていたものではなかったんだ。
ジョージ・ハリスンは彼らともう一度やり直したが、それはバッドフィンガーのアルバムというよりはジョージ・ハリスンのアルバムだった。彼はフィル・スペクターのように3本のアコースティック・ギターを使って、自分のアコースティック・アルバムを作るようなやり方でやった。彼は4曲か5曲くらい作ったところで、『バングラデシュ・コンサート』に夢中になって、もうこれ以上は無理だと言った。その時点で、僕はトラブルシューターとして頭角を現していた。僕はスタジオに入ってアルバムを仕上げることで有名だった。
その時のバンドは“1枚のアルバムを作った後、また別の素材でアルバムを作り始めた”という感じだった。彼らは少し迷っていた。僕は“ジョージと一緒にやろうとしていた曲をやろう”と言った。最初にやったのは“Baby Blue”だった。これが残りのアルバムのテンプレートになると思った。アルバムはあのようなサウンドで、あのレベルのソングライティングであるべきだと。
その間に、ジェフ・エメリックとやった作品を持ってきて、オリジナルのジェフ・エメリックのセッションから2曲使った。ジョージ・ハリスンのレコーディングからは3曲ほど使ったと思う。
『バングラデシュ・コンサート』のアルバムの試聴会に行ったことを覚えている。ジョージはスタジオにいた。“もう時間がない。これからは君の仕事だ”と言われた。
“Day After Day”はフィル・スペクターのレコードのようなサウンドで、他の曲とは全然違っていたから、録り直したんだ。僕の好みは、バンドをバンドらしく聴かせることだった。バンドの音がバンドらしさを失わないように、たくさんのものをオーバーダビングしてはいけない。“Day After Day”からたくさんのものを外し、ドラムを録り直した。シングル・レコードが発売されて“Day After Day”のレコードのどこかに僕の名前があるんだ? “ジョージ・ハリスンのプロデュース”だってさ。ちょっと苛立ったよ。僕が憤慨したことで、彼らは動揺してしまった。彼らはジョージを擁護しなければならないと思ったからね。
その後、アルバムを作ることになった時、僕はプロデューサーとしてロンドンに飛んだ。セッションをやって、次の日に行ったら、彼らから“君にアルバムを終わらせてほしくない”と言われて、家に帰されたんだ。その頃からバンドがバラバラになり始めたのは残念だった。“Baby Blue”で終わったんだよ」
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