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シド・バレットの妹 謎めいたシドの人生について語る

2023/11/16 21:09掲載
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Syd Barrett
Syd Barrett
ピンク・フロイド(Pink Floyd)の初期の中心人物であるシド・バレット(Syd Barrett)。彼の妹ローズマリー・ブリーンは、ポッドキャスト『Fingal's Cave』のインタビューに応じ、謎めいたシド・バレットの人生について語っています。

シドの音楽との関わりは、個人的な芸術の探求であり、チャートのトップに立とうとしたり、ファンの喝采を浴びようとするものではありませんでした。シドは名声を得るために音楽を利用するのではなく、個人的なレベルで音楽に興味を持っていました。

ローズマリー:
「(シドにとって)音楽は趣味で、アートが彼本来のものだった」「彼はセレブリティを望んでいなかったし、それを理解していなかった」「彼はサウンドシステムで遊んだり、いろいろやったりしていたけど、観客を増やしたいとか、ナンバーワンになりたいとか、そういうこととは全く関係なかった。彼はそれを望んだことはなかったし、それを望む人を理解したこともなかった」

シド・バレットの人生は、彼が音楽に没頭することを選んだとき、予期せぬ方向へと向かっていました。ローズマリーによると、シドはもともと、ちょっとした遊び心からピンク・フロイドのメンバーに加わったそうで、そのうち、キャンバーウェル・カレッジに戻るつもりだったという。

ローズマリー:
「彼は、ロジャー・ウォーターズや他のメンバーたちとちょっと楽しむだけなら楽しいだろうと思っていたし、(キャンバーウェル・カレッジに)戻るつもりでいました。

(その後、彼はポップスターダムと薬物使用の波に押し流され、最終的にアートの旅からも遠ざかってしまったため)

音楽にのめり込んだことは、私にとっても、おそらく彼にとっても間違いだったと思います。それによって、絵を描くという彼の愛から横道にそれてしまったので」

シドは80年代、ロンドンのチェルシークロイスターズでの10年にわたる生活の後、印税が底をつき、破産が迫ってきたため、シドはケンブリッジの家族の元に戻りました。そこで彼は平穏な日々を取り戻し、気が向いたときにアートに没頭し、ガーデニングをし、ときどき妹と海辺にドライブに出かけたという。その後、2006年に亡くなるまでケンブリッジで過ごしました。

ローズマリー:
「彼はチェルシークロイスターズに10年ほどいましたが、お金がなくなってしまいました。何があったのかわからないけど、グループ内ではたくさんお金をもらっていたらしく、事務所から印税をもらっていたようなのですが、何らかの理由で、もうこれ以上のお金はないって言われて、家賃が払えなくなったからチェルシークロイスターズを出なければならなかったと言っていました。家に帰ってきて、長兄が彼の税金のことを整理してくれて、破産させて、すべてが解決しました。

彼は80年代に戻ってくると、セント・マーガレット・スクエアの私の母のところに引っ越してきて、亡くなるまでそこにいました。

(しかし、シドは昔とは違っていました)

彼は1年半ほど経ったある夜、本当に気難しくなったので、母は私たちと一緒に住むようになって、彼は家を独り占めするようになりました。それが一番いい方法だったんです」

シドには、自分の考えを整理し、脳へのダメージと折り合いをつけるためのスペースが必要でした。おそらく薬物によるものであり、潜在的な精神疾患によるものでもあったかもしれません。

ローズマリー:
「彼の頭の中ではいろいろなことが起こっていて、それを自分で整理した方がよかったのです。彼はアートをやっていて、私はそれをかなりたくさん持っています。それはとても素敵で、とても良いものでした」

彼のアートへの引きこもりは深く個人的なものであり、シドにとってアートは、他者からの承認を求めるのではなく、主に自分自身のためにあったという。

ローズマリー:
「彼がアートを作るのは個人的なことで、他の誰とも何の関係もありません。他の誰にとってもあまり面白いことではなかったけれど、彼にはそれをする必要があったのです」

シドはたくさんの絵を描きましたが、その多くはすぐに破壊されてしまいました。残っているものもあります。ローズマリーは、ピンク・フロイドに在籍していた最後の頃、名声と混乱に対する彼のフラストレーションを集約したような1枚を見たという。

ローズマリー:
「彼がグループにいたころ、最後の方は不機嫌で、ヒルズ・ロードにある私の母親たちのところで、巨大なキャンバスに描いたアートのことを覚えています。真っ黒だったんだけど、右下の隅に小さな小さな色が1つだけありました」

それはシドだったのかと聞かれたローズマリーは「わからない。彼にしかわからない」と答えています。

シドは晩年、かなりの時間をひとりで過ごし、妹のローズマリーとは定期的に会うだけだったという。

「彼は良い精神状態の時は絵を描いていたし、そうでない時はただ静かに座っていて、そうして多くの時間を過ごしました。彼はガーデニングを少しやっていて、よく2人で車で出かけて、海辺に行ったり、あちこち回ったりしました。簡単なことではなかったけど、最初はとても親しかったから、まだ彼を見つけることができたのです」

引きこもり生活が長く続くと、会話をするのも難しくなります。シドにとってコミュニケーションは“何度もひどい目にあった”ことの後遺症に対処するための課題となりました。ピンク・フロイドの中心人物であったという過去を否定し、別人と思われることを好んだというローズマリーの回想は、彼の対処メカニズムについても明らかにしています。

ローズマリー:
「(シドは)脳の損傷のせいで、コミュニケーションをとるのがかなり難しいと感じていました......彼はおしゃべりが苦手で......おしゃべりが苦手であればあるほど(コミュニケーションをとるのは)難しいのです」

シドにとって、以前の自分を振り返ることは信じられないほど難しいことだったという。

ローズマリー:
「彼は私に過去を振り返って話すことはなかった。彼は過去のことを知りたくなかったし、本当に嫌だった。もし多くのファンの誰かが彼を訪ねたら......シドはもうここには住んでいないと言ったでしょう。僕は彼(シド)ではない。彼はそうやって解決していた。僕は彼じゃない......僕は......別の誰かなんだ、とね。彼は本当に何度もひどい目に遭っていたから、それが唯一の対処法だったんです」

ローズマリーは、兄が亡くなる間際の親密さについてこう振り返っています。「彼が入院していたとき、私にキスを求めたのはそのときだけでした」。シド・バレットは2006年7月7日、60歳で亡くなりました。膵臓がんでした。