1969年の<ウッドストック・フェスティバル(Woodstock Music and Art Festival)>にプロダクション・コーディネーターとして貢献し、また当日はステージアナウンスも担当して同フェスが無料コンサートに変わったことを観客に伝えたジョン・モリス(John Morris)が死去。米ロサンゼルス・タイムズ紙は、モリスが長い闘病生活の末、11月10日にニューメキシコ州サンタフェの自宅で亡くなったことを家族に確認しています。同紙によると、モリスは長年にわたって慢性閉塞性肺疾患(COPD)を患い、以前は癌とも闘っていたという。84歳でした。
ジョン・モリスはニューヨーク生まれ。最初にショービジネスを経験したのはオフ・ブロードウェイで、いくつかの作品で照明監督を務めた。その後、西海岸に移り住み、サンフランシスコでトップクラスのロック・コンサート・プロモーターとしての地位を確立した。
モリスは有名なコンサート・マン、ビル・グラハムと手を組み、ジェファーソン・エアプレイン、ザ・ドアーズ、グレイトフル・デッドなど、当時の大物アーティストたちと仕事をした。グラハムが規模を拡大し、ニューヨークのフィルモア・イーストをオープンさせたとき、会場の運営を任せたのがモリスだった。
1969年、モリスはウッドストックの出演者のブッキングを手伝うことになった。3日間のフェスティバルの間、モリスはプロダクションの責任者を務めた。その役割の中で、モリスはウッドストックのステージアナウンスも担当した。
モリスは1990年までコンサート・プロデューサーとして働き、ポール・マッカートニー、デヴィッド・ボウイ、ピンク・フロイド、フランク・ザッパなど、ロック界の大物アーティストのツアーを手がけた。