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デヴィッド・バーン、ロック的な動き等を意図的に排除していること/ビッグスーツ/独自のダンスのインスピレーションの源/自閉症スペクトラムを語る

2023/11/02 18:33掲載
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Talking Heads - Stop Making Sense 40th anniversary 4K restoration ©1984 TALKING HEADS FILMS. ALL RIGHTS RESERVED
Talking Heads - Stop Making Sense 40th anniversary 4K restoration ©1984 TALKING HEADS FILMS. ALL RIGHTS RESERVED
トーキング・ヘッズ(Talking Heads)『ストップ・メイキング・センス』40周年記念の劇場再公開にあわせて、デヴィッド・バーン(David Byrne)が米国の公共ラジオ局NPRのインタビューに応じています。バーンは「トーキング・ヘッズのために初めて書いた曲“Psycho Killer”について」「ロック的な動きやソロ、照明などを意図的に排除していることについて」「『ストップ・メイキング・センス』のビッグスーツについて」「その場でジョギングしたり、よろめいたりするような独自のダンスのインスピレーションの源について」「自閉症スペクトラムについて」話しています。

バーンはインタビューの中で、音楽に夢中になった最初の曲はザ・バーズの「Mr. Tambourine Man」だったとも話しています。「このジャングリーなギターと、実にみずみずしいハーモニーが混ざり合っていて、こんな音は聴いたことがなかった」。そして、彼は心の中でこう思ったそうです。「そこにはまったくの別世界がある」。

以下インタビューより

■トーキング・ヘッズのために初めて書いた曲「Psycho Killer」について

「曲を書けるかどうかの実験だった。クリス(フランツ)と僕はバンドを組んでいて、学校のダンスとかで他の人の曲を演奏していた。アリス・クーパーとランディ・ニューマンを掛け合わせたような曲を書いてみようと思った。アリス・クーパーが使うようなドラマチックなテーマを持ちながら、ランディ・ニューマンがやるような内面的なモノローグに目を向けてみようと思ったんだ。それで、この男の頭の中に入り込めるかどうか試してみようとね。暴力とかそういう話をするつもりはない。ただ、この男の、ちょっと混乱した、ちょっとひねくれた思考の中に入ってみようと思ったんだよ。

僕は彼が自分のことをとても博学で洗練されている人だと想像していたので、時々フランス語で話すだろうと考えた。それでブルターニュで育ったティナ(ウェイマス)のところに行った(彼女の母親はフランス人)。僕は“助けてくれる? ここで彼にかなり壮大なことを言わせたいんだけど、彼がどんな野心を持っていて、自分自身をどう見ているのかを僕たちに伝えるようにフランス語で言ってほしいんだ"”と言ったんだよ」

■ロック的な動きやソロ、照明などを意図的に排除していることについて。

「他の現代的なアーティストや、僕たち周りの人たちは、ポーズや服装、ギターのスタイルなど、前の時代、前の世代のものを取り入れていた。僕は考えた、それらは他の人たちが発明したり創り出したりしたもので、その人たちのものであり、その世代の何かを表現しているんだと。僕たちのもので、僕たちの世代に語りかけ、僕たちの関心事に語りかけるものを作るにはどうしたらいいんだろう? 僕は考えた。それなら、以前のものをすべて捨て去り、そのようなものを取り入れないように注意しなければならないと」

■『ストップ・メイキング・センス』のビッグスーツの制作について

「最終的にどのようなデザインにするか、少し描いていた。とても大雑把で、ちょっとした線画だった。基本的には長方形で、下に足が出ていて、上に小さな頭が付いているものだった。それからニューヨークのダウンタウンにある小さな衣料品メーカー、ゲイル・ブラッカーというデザイナーのところに行って、“どうすればいい?”と言った。

日本の演劇のひとつ、能の衣装(能装束)に影響を受けていて(能装束は)幅が広くて長方形なんだけど、横を向いても太くないんだ。だから、太ったスーツというわけではない。どちらかというと、観客の方を向いた平たい箱のようなものなんだ。そして、それは前方を向くようになっている。下にガードルみたいなものを履いて、パンツはこのパッド入りのガードルみたいなものに取り付けて、パンツはただ垂れ下がってるような感じなんだ。足にはほとんど触れていない、ジャケットも同じ。ジャケットには大きな肩章がついていて、ジャケットはそこから垂れ下がって、僕の胸にかろうじて触れる程度だった」

■ビッグスーツを着て踊るのはどんな感じでしたか?

「ビッグスーツを着始めたとき、腰と肩からカーテンのように垂れ下がっているので、それ自体が生命を持っていることに気づいた。ちょっと体を動かすと、カーテンやシーツのように波打つ。だから、いろんなことができた。左右にくねらせると、なんだか揺れ動くんだよ。自分ひとりではできないようなことができるんだ。そうやって、独自の特性を生かすことができた。ちょっと奇妙で、ちょっとシュールだと思った。人々はそれを、ああ、これは典型的なビジネスマンがスーツに閉じこもり、自分の状況全体に閉じこもったようなものだ、というように解釈した。それは意図的ではないかもしれないけど、あるかもしれない。否定はしない。でも、ビジネスマンをからかうような意図はなかったよ」

■その場でジョギングしたり、よろめいたりするような独自のダンスのインスピレーションの源について

「他の人がやっているのを見て気に入った動きを取り入れるのを我慢しなければならなかった。その頃、僕は(現代舞踏家・振付家の大家)トワイラ・サープと仕事をしていた。ああ、使えるもの、できることのボキャブラリーは本当に広いんだなと思った。... 僕は彼女や彼女がやっていたことに刺激を受けた。民族舞踊や、儀式を撮影した民族映画で見たダンスにもインスパイアされた。バプテスト教会の人たちがトランス状態になる“Once In A Lifetime”とかね、バプテスト教会であろうとサンテリアであろうと何でもいいんだけど…。同じような振り付けではないかもしれないけど、一種のダンスだと思った。間違いなく動きだし、間違いなく音楽とつながっている」

■自閉症スペクトラムについて

「2000年代の初めか90年代の終わりに、友人が自閉症スペクトラムについての本を手に取って、スペクトラムの人たちのさまざまな側面を読み聞かせてくれた。彼女は“デヴィッド、これはあなたに似ているわ”と言っていたが、僕は少なくとも自閉症スペクトラムの軽度の方には異論はなかった。

(僕は)自分が興味を持ったことに集中して、他のことを排除して、本当に集中することができる。たぶん、社会的に不器用で、社会的に少し居心地が悪いかもしれない。物事を文字通りにとらえることもあった、それは今でも少しやっている。この病気について読んだことがあるんだけど、僕にはなかったと思う症状が他にもあった。他者への共感が欠如していたり、心の理論と呼ばれるものが理解できなかったり、他人が何を感じ何を考えているのか理解できなかったりすること。自分にはそういう部分はないような気がする。時間が経つにつれて--つまり、もう40年くらいになるけど--その多くが徐々に薄れていく。そのうちのいくつかは、音楽のおかげ、この素晴らしいバンドと一緒に演奏できたおかげ、僕たちが作った陽気な音楽のおかげなんだ。そのおかげで、僕はこの小さなコミュニティの一員になったと感じることができたんだ」

■正式な診断を求めなかった理由について

「たぶん、これが僕なんだと思ったから。僕は不幸じゃない。他の人とは少し違うかもしれないけど、不幸じゃない。これが僕が経験する世界なんだ。曲を書いたり、演奏したり、他のことをするのも本当に楽しい。それなのになぜ、治療が必要な病気があるかのように振る舞う必要があるのだろうか?」