『いけないチェリー・パイ(原題:Cherry Pie)』 などで知られるグラム・メタル・バンド、
ウォレント(Warrant)はデビュー前、
プリンス(Prince)から資金提供を受けてデモテープを作りました。その後、ライヴ映像を見たプリンスは彼らへの興味を失い、最終的には契約とはなりませんでしたが、この時のデモテープのおかけで他のレコード会社との契約が決まります。この逸話をウォレントのベーシスト、ジェリー・ディクソンがAL.comのインタビューの中で語っています。
AL.comによると、ウォレントがデビューする前の1987年秋、プリンスは自身のレーベル、ペイズリー・パーク・レコードのためにデモテープを作るために彼らに5,000ドルほどをバンドに渡しました。
ウォレントは、当時のバンドのマネージャーだったジェイミー・シュウプを通じてプリンスとつながりました。ウォレントは、イギー・ポップやボニー・レイットと仕事をしたことのあるエド・チェルニーと共に「Down Boys」 (後にデビュー・アルバム用に作り直された)を含む3曲のデモを作りました。
録音されたデモはプリンスに送られ、その後、プリンスはバンドのライヴ映像を見たいとリクエストし、バンドは地元のクラブでのライヴを撮影したVHSテープを送りました。そのビデオを見たプリンスはバンドへの興味を失い、拒否権を発動します。フロントマンのジェイニー・レインについて、プリンスはこう言ったと伝えられています、「この白人の子は歌えるし、バンドには可能性がある。 でも、こいつは踊れない」。
ディクソンは当時をこう振り返っています。
「あいつは俺たちを見限ったんだ。それで俺らのマネージャーに“このデモを使って他のレーベルに売り込んでいいか、プリンスに聞いてもらえないか”と頼んだんだよ」
レコーディングの費用を負担していたプリンスは、それを了承します。ウォレントはその後、コロムビア・レコードと契約しました。
「俺たちはデモを使って契約にこぎつけた。彼はたぶん笑っていたよ。彼は俺たちを気に入ってくれたけど、ロックバンドをブレイクさせるのは彼のレーベルの得意分野じゃなかったのかもしれないね。途中、そういうことがたくさんあったんだ」
またディクソンは同じインタビューの中で、ウォレントは
マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)にも影響を与えたと話しています。
バンドは地元の革職人アル・ベインと協力して、メンバーそれぞれに違った黒のレザージャケットとパンツを作りました。ディクソンによると、これはマイケル・ジャクソンにもインスピレーションを与えたそうで、マイケルは1987年の『Bad』のルックをデザインするためにベインを起用しています。この頃、ベインはカリフォルニア州レシーダにあるカントリー・クラブという会場で自分の作品を販売していました。
「マイケル・ジャクソンのスタッフの誰かが、彼のブース全体を25,000ドルで買い占めたんだ。そういうことなんだ。俺らはみんな光栄だったよ。模倣はお世辞って言うだろ」