アリス・クーパー(Alice Cooper)と
ザ・ドアーズ(The Doors)の
ジム・モリソン(Jim Morrison)は仲の良い友人でした。英Classic Rock誌のインタビューの中で、ジム・モリソンとの思い出を語っています。
「俺のバンドがアリゾナからロサンゼルスに引っ越してきたとき、知り合いは誰もいなかった。ある夜、俺たちは小さな場所で演奏したんだが、ザ・ドアーズのメンバーの奥さんが、そのクラブを経営している女の子と仲良くしていたので、たまたまそこにいた。彼女は夫に、俺たちはとてもクールで、他の誰とも違っていると言ってくれたので、それでドアーズが俺たちを見に来て、それ以来、俺たちを彼らの下に置いてくれたんだ。彼らは本当に優しかった。彼らは、俺たちが極悪な評判を得ていて、ちょっと向こう側にいるように見られていたことを気に入ってくれたんだと思う。
彼らはLAで最高のバンドだった。彼らはライヴが素晴らしく、“The End”を2度同じようにやることはなかったが、彼らはとても緊密で、常に同じ考えを持っていた。彼らは最も興味深いアルバムを作り、そのサウンドは全く唯一無二だった。ジム・モリソンは詩人だったし、ロビー・クリーガーのようにギターを弾く人はいなかった。レイ・マンザレクのキーボードは彼らのサウンドの中心だったし、ジョン・デンズモアは素晴らしいジャズ・ドラマーだった。彼らが『Strange Days』を制作していた頃、サンセット・サウンド(スタジオ)を訪ねる機会があったんだけど、彼らの仕事ぶりを見ることができてとてもクールだった。
彼らと一緒にライヴをやったとき、彼らのことをちゃんと知ることができた。彼らは最高にいいやつらだった。ジムの場合は、本当の意味での親友になれるような関係ではなかったけど、同じリード・シンガーという絆があったし、彼も酒飲みで、俺も酒飲みだったから仲良くなれた。オレゴン州ポートランドの劇場でドアーズのサポートをしていたときの素晴らしいエピソードがあるんだ。ロビー・クリーガーがサウンドチェックのために入ってきたとき、ジムと俺はバルコニーから20フィート(約6メートル)の高さにぶら下がっていた。誰が一番長くそこにぶら下がれるか賭けをしていたんだ。俺たちは酒を飲んでいたかもしれないが、当時はそれがいいアイデアに思えたんだよ。
出会った人の中には、その人が永遠にこの世にいるわけではないことがわかる人たちがいる。ジムもその一人だった。俺はあまりその言葉を口にしないが、彼は天才だった。しかし、彼は自分自身をあまり大切にしなかった。スキットルズ(※アメリカのお菓子。柔らかいフルーツキャンディ)を食べるようにドラッグをよく飲み、大酒飲みだった。彼は100回死んでもおかしくなかった。彼はリスクを恐れず、大胆不敵だった。パーティーで、高さ300フィート(約91メートル)のビルの端に立って、両手にウィスキーのボトルを持ってバランスをとっている彼の姿を目にするのは普通のことだった。
正直に言うと、ジムがパリで27歳で亡くなったと聞いたとき、俺はみんなに“27歳まで生きていたことのほうが驚きだ”と言った。でも、これだけは言いたい。ステージでもスタジオでも、彼がコントロール不能になっているのを見たことがない。彼は、生活のために仕事をするときにさえ集中していれば、ハイになってもまったく問題ないと信じていた。彼が誰かに見守られる必要があったのは、1日のうち残りの22時間だったんだ」