Flea - Photo: Joshua Peter Grafstein
レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(Red Hot Chili Peppers)の
フリー(Flea)は、米Bass Magazineのインタビューの中で、「自分はエンターテイナーであると公言する理由」「キャリアの初期と今とではツアーはどう違うか」「ファンや観客が年々進化しているのを感じているか?」「若いベース・ヒーローを見てどう思うか?」「ソーシャルメディアについて」「俳優として演じることと音楽を演奏することはどのように影響し合っているのか」について語っています。
Q:あなたは常に、単なるベーシストではなく、エンターテイナーであることを公言してきました。それはどういう意味ですか?
「俺はエンターテイナーだ。俺が本当に好きなミュージシャンのほとんどは、頭脳的、感情的な経験だけでなく、肉体的、直感的な経験をさせてくれる。俺の演奏は、たとえ誰も見ていないときでも体が動く。ライヴでは大げさに言えば、芝居がかっているんだ。練習中に家の中で飛び跳ねることはないかもしれないけど、スタジオでは間違いなくそうしている。常にリズムを意識していて、キックドラムの後ろで演奏したり、周りで起こっていることの中でベースを動かしたりするのが好きなんだ。俺はそういうことをとても意識している。俺にとって、そういう音楽的な感情を表現する方法は肉体的なものなんだ。それはマインド/ボディ/スピリットのホリスティックなところから来ていて、それもパフォーマンスの一部なんだ。それに加えて、“おい、ロックにしようぜ!” という感じなんだよ」
Q:この2年間、あなたはツアーを続けてきました。キャリアの初期と今とでは、ツアーはどう違いますか?
「面白いもので、ツアーがノンストップ・パーティーのようなものだった時代は、ずいぶん前に捨てた。今は、どちらかというと修行僧のような体験をしている。散歩もするし、美術館にも行くけど、そうでなければ部屋で練習したり瞑想したり、準備できることは何でもしている。俺はツアーや公演をとても真剣に取り組んでいる。死ぬまで演奏するんだ。動き続け、ジャンプし続け、踊り続け、そしてパフォーマンスする。観客はライヴに来るために一生懸命働いているのだから、その人たちに価格に見合った価値もすべて与えるようにしないといけない。それが俺の人生の使命なんだ。ライヴに来てくれる人たちに敬意を表し、彼らを元気づけること。バンド全員を代表して言うなら、俺たちはライヴの弟子なんだ。アートに捧げる人生は良い人生であり、俺の人生はアート作りに捧げる人生なんだよ」
Q:ファンや観客が年々進化しているのを感じていますか?
「俺たちのバンドはある種の現象みたいなもので、観客を見渡すと、前方はいつも俺たちを応援してくれているニキビ面のティーンエイジャーばかりだけど、祖父母や小さな子供たち、あらゆる年齢の人たちもいる。それが大好きなんだ。みんなのために演奏したい。俺の唯一の願いは、民族的、人種的、文化的にもっとそうであってほしいということ。ほとんどの場合、俺はいつも自分たちのバンドを、その瞬間に自分たちがいる場所のタイムカプセルだと考えてきたけど、子供の頃からいつも考えてきたことは、どうやってそれらすべてをつなげるかということだった。子供の頃、俺はルイ・アームストロングのようなジャズ・トランペッターになりたかったんだけど、俺らの学校は他の学校と同じように、白人はレッド・ツェッペリン、キッス、ボウイを聴き、黒人はPファンク、カメオ、バーケイズが好きで、俺はいつもその両方が好きだった。俺はアース・ウインド&ファイアーが大好きだった。誰もがアース・ウィンド&ファイアーを愛していた。それこそが、縄張り意識が強く、狭量なことが多いカテゴリーを超越する音楽の力なんだ。俺は自分たちの音楽でそれを実現したいと切望している」
Q:ベースに大きな影響を与えた人物として、ThundercatやMonoNeonのような若いベース・ヒーローを見てどう感じますか?
「大好きだよ。大好き。MonoもThundercatも。素晴らしいベーシストはたくさんいるし、Instagramやソーシャルメディアのおかげで、常に新しいベーシストを見ることができる。俺が子供の頃、ジャコ(パストリアス)の“Portrait of Tracy”を弾ける人がいたら、その人は教養があって熟練したスゲエ奴だった。
Monoの演奏は非現実的だよね。マイクロトーンや無調音など、彼のような音は誰も出せない。彼のファンクの深さ、エキセントリックさ、ワイルドさは、メンフィスの最高なものだ。彼は唯一無二の存在だよ。
サンダーキャットは大切な友人で、とても大好き。カマシ・ワシントンをはじめとする地元のジャズ・プレイヤーたちと一緒に育って、彼らの父親もみんなプレイヤーだったという話をしたよ。彼らは9歳のとき、学校で毎週新しいジャズの曲をチェンジやメロディーを含めて覚えなければならなかった。その上でソロもできなければならない。彼らは幼い頃から音楽と深く結びついていて、それをさらに発展させていった。とても美しく、印象的。俺はたくさんのジャズに囲まれて育ち、ジャズが大好きだったけど、そのような育成はあまり受けなかった。どちらかというと、ストリートでいろいろやっていた。みんな違う道を歩んでいる。才能ある若いベーシストたちには本当に圧倒されているし、とても刺激的だ。俺は彼らに畏敬の念を抱いている。実際、俺は彼らから多くのことを学んでいる。喜びで胸が高鳴るよ」
Q:RHCPは携帯電話やインターネット、ソーシャルメディアがなかった時代に誕生しました。今、昔のビデオやインタビュー、記事が出てくるのは奇妙なことですか? ソーシャルメディアは好きですか?
「みんなと同じように、俺もソーシャル・メディアにはまっている。小便に行くときに携帯を見てると、気づいたら30分も経っていて、“一体何やってるんだろう?”と思うこともある。ひどい目に遭うこともあるし、何か悪いものを見ると、二度と取り戻せない魂の一部を失ったような気がする。でも、SNSでMonoNeonを見つけたんだから、いいこともある。大きな欠点は、明らかに人々の注意力の持続時間がはるかに短くなっていること。俺が子供の頃は、噂を聞いたりジャケットが気に入ったりしてアルバムを買って、家に帰ってからそれをかけて、座って聴いた。最初から最後まで聴いたよ。今、若い人がじっくりと聴き入るだけの能力と余裕を持つことは稀だ。今、若いミュージシャンが聴かれるためには、30秒の断片にまとめなければならない。注目されるためには、お尻を見せるとか、何かトリックが必要なんだ。俺は裸でステージに飛び出して、お尻を見せた最初の人間だけど、そういう意味で批判しているのではない。俺はただ、人々に深く入り込んでほしいだけなんだ。俺は人々に、何かに深く入り込む機会を持ってほしい。美しいものに深く入り込めば入り込むほど、自分自身の中に深く入り込むことになるからね。自分自身を知り、トラウマを克服した人は、美しいことをしたり、愛の橋を架けたりする可能性が高くなる。だから俺はソーシャルメディアと闘っているんだ」
Q:長年の俳優として、演じることと音楽を演奏することはどのように互いに影響し合っているのでしょうか? またミュージシャンとして演技から何を学ぶことができるのでしょうか?
「偉大な俳優であり、音楽界の伝説的人物であったデヴィッド・ボウイを見てほしい。彼は、常に純粋に自分自身でありながら、ギアをシフトして両方をこなすことができた。君がそんなことを聞くなんて面白いね、そのことを最近考えていたんだ。俺はハリウッドで育った。映画も演技も大好きだよ。俺にとって映画は神聖なものなんだ。何年もの間、あちこちでちょい役で出演したけど、本格的に取り組んだのはここ数年のことだよ。そしてわかったのは、音楽を書いたり演奏したりすることと似ている部分はたくさんあるけれど、結局のところ、クリエイティブな面では俺の中のまったく別の部分を刺激していることが分かった。どのような芸術形態であれ、最終的な目標は同じで、そのテクニックを学び、スキルを身につけ、そしてそのすべてを駆使してその中に没頭すること。すると、自分がいなくなり、魔法が自分を通して働いているような場所にたどり着くことができる。ベースも同じで、演奏するとき、自分を解き放ち自然に演奏ができるようになるために、あらゆる努力をしている。潜在意識は、周りで起こっていることに反応することを可能にする。演技も同じなんだ」