初めて買ったシングルはデヴィッド・ボウイの“Space Oddity”で、トム少佐がなぜ宇宙で“ブリキ缶の中”にいるのかいつも不思議に思っていた。1984年か85年に“The Final Countdown”の歌詞を書いたとき、もしかしたら人類が地球を去るのは死期が迫っているからではないかと考え始め、この曲は地球を去る最後の船までのカウントダウンを歌っている。
“The Final Countdown”が最初のリリースだと思っている人もいるけど、その前に2枚のアルバムがある。僕たちは多くのツアーをこなし、多くのレコード会社を回り、多くの人から“ノー”と言われた。髪が長すぎたし、ギターがうるさすぎた。“The Final Countdown”はハッピーな曲なのか悲しい曲なのかわからない。ポジティブな感じもするけど、メランコリックでもある。結婚式にも使われるし、葬式にも使われる。スカンジナビア人だからこそ生まれた曲だと思う。昔のフィンランドやスウェーデンの音楽では、マイナーコードがとても重要だった。
86年に“The Final Countdown”をリリースしたけど、最初は何も起こらなかった。その後、オランダでNo.1になったというファックスが届き、他の国もすべてそれに続いた。僕のことを、ちょっと調子に乗っていると思った人もいた。実際には“一体どうすればいいんだ?これを続けなければならないけど、僕は曲作りに戻らなければならない”と考えていたんだ。
「ジョーイが最初に“The Final Countdown”のデモを聴かせてくれたとき、僕はひどいと思った。僕はヘヴィロックが好きだったから、あのシンセサイザーのメロディーを何度も何度も聴いていると気が狂いそうになった。この曲とは関わりたくなかった。僕にとっては“僕たち、デペッシュ・モードになっちゃうの?”という感じだった。
僕は有名になることに興味がない。かなり内向的。“The Final Countdown”が25カ国で1位を獲得したとマネージメントから聞いたとき、僕は“素晴らしいね、じゃあ、ギターの練習に戻るよ”と言った。他のメンバーは僕よりもずっと興奮していて、シャンパンのボトルを開けて飛び跳ねたりしていた。車の窓を叩かれたことも何度もあった。初めて日本に行ったときは、ホテルの部屋から出られなかった。一度だけ試したことがある。エレベーターのドアが開いてロビーに出ると、何百人ものファンが僕に向かって走り出した。僕はすぐにボタンを押して部屋に戻り、ルームサービスを頼んだよ。
“The Final Countdown”の後、僕はバンドを脱退した(17年後にヨーロッパに再加入)。もっとギター中心なことをやりたかったんだ。個人的な問題もあって、毎日のように酒を飲んでいた。イメージもあった。突然、ティーン向けの雑誌の表紙を飾ったんだ。スパンデックス・パンツに大きな髪、僕の好みではなかった。
今は、80年代よりもずっとこの曲が好きだよ。今の方がずっといい演奏ができる。スウィングしている。グルーヴもいい。チューニングを半音下げてダークにしたから、よりヘヴィになった。もっといい曲があると思うけど、“The Final Countdown”は少なくともトップ10には入る。あるいはトップ15に入るかもしれない」