Simon and Garfunkel / Bridge over Troubled Water
ポール・サイモン(Paul Simon) は米ラジオ番組『The Howard Stern Show』の新しいインタビューの中で、
サイモン&ガーファンクル(Simon and Garfunkel) の解散を振り返り、パートナーの
アート・ガーファンクル(Art Garfunkel) のせいではないと話しています。
番組の中で解散の話になると、サイモンはすぐに「アーティのせいではない」と元パートナーを擁護しています。
サイモンによると、2人ともマイク・ニコルズ監督の映画『キャッチ22』に出演するはずでしたが、彼の役が脚本からカットされました。
サイモン&ガーファンクルが1970年に発表した楽曲「The Only Living Boy in New York(邦題:ニューヨークの少年)」は、ガーファンクルが映画『キャッチ22』撮影のためレコーディング・スタジオに不在がちであったため、ニューヨークにひとり取り残されたサイモンの心境が歌詞に反映されています。
ガーファンクルはサイモンの全面的な支持を受けて映画の撮影に参加していましたが、しかし、厳しい撮影スケジュールがグループの勢いを妨げることにもなっていました。
「僕らは『Bridge Over Troubled Water』を制作している最中だったので、それが邪魔をしていた。サイモン&ガーファンクルは絶頂期だった。『The Graduate』から『Bridge Over Troubled Water』まで、僕らはおそらくビートルズと同じくらいビッグだったんだ」
サイモンによると、問題は映画だけにとどまりませんでした。
「スタジオで起こっていたのは、テイストややり方についての激しい争いだった。俺たちは12歳の頃からの友達だったんだけど、音楽の傾向はかなり違っていたので、意見の相違が生じたし、その意見の相違は、セッションを止めてしまうような本当の議論になりかねないものだった」
サイモンは、共通の友人チャールズ・グローディンを通じて、ガーファンクルがニコルズの次回作『愛の狩人』に出演する予定であると聞いたときのことを振り返っています。
「もしそれを言ったら、彼は『Bridge Over Troubled Wate』の制作をやめてしまうんじゃないかと心配だった。それから“ここから出なきゃ”と思ったんだ」
当時の妻ペギー・ハーパーの励ましもあり、サイモンはソロ活動を開始しました。しかし、当時彼らのレーベル、コロンビア・レコードの社長だったクライヴ・デイヴィスは「それは人生最大の過ちだ」と反対したという。
サイモンは解散は避けられなかったと考えています。
「いずれにしても解散していたと思う」
サイモンは、ジョン・レノンとポール・マッカートニーやエヴァリー・ブラザーズのような例を挙げながら、「デュオは一緒にいられないものなんだ」と話し、「再結成するときは、音楽のためではなく、ビジネスのためなんだよ」と付け加えています。
VIDEO