ホワイト・ライオン(White Lion)のギタリスト、
ヴィト・ブラッタ(Vito Bratta)は、
オジー・オズボーン(Ozzy Osbourne)のバンドへの加入のチャンスを逃したこと、そして
キッス(KISS)に加入寸前だったが断った理由について、米Guitar World誌のインタビューの中で話しています。
「ブラッド・ギルスがオジーのバンドにいた頃、彼らはニューヨークでいくつかのライヴをやった。僕はホワイト・ライオンに入る前は、(ブラック)サバスの曲を1時間くらい演奏するカヴァー・バンドをやっていた。ランディ・ローズの曲(※オジーのソロ曲)はやらなかった、サバスだけをやっていた。
誰かがオジーの関係者にサバスの曲を演奏したカセットを送った。それから--僕の記憶が正しければ、たぶんシャロン・オズボーンだったと思うけど、100%確かではない--電話がかかってきて、“やあ、君のテープが気に入ったから、リッツに来て演奏してほしい”と言われた。
演奏してくれと言われたとき、最初の直感は“今夜はギグがあるから無理だ”だった(笑)。でも、“待てよ......なんてカヴァーバンドで演奏しなくちゃいけないと心配しているんだ? オジーと一緒に演奏するチャンスじゃないか”と思ったので、彼女に“もちろん、いいよ。どんな曲を演奏すればいいんだい?”と言った。
彼女は僕に“オジーの2枚のソロ・アルバムから何かできる?”と言ったので、僕は“いや、何も知らないよ。ランディは大好きだったけど、僕のカヴァーバンドはサバスの曲しか演奏していないんだ”と言った。ランディの曲は大好きだったんだけど、家でじっくり勉強する時間がなかったんだ。
“本当に?何も知らないの?”と彼女は僕に腹を立て始め、混乱しているようだった。僕は“サバスのカヴァー・バンドをやっているんだよ。サバスを1時間やるんだ”と言った。
この時点で、彼女の声はどんどん高くなっていた。僕は“だから、僕はオジーの最初の2枚のアルバムは知らないんだ。これはいいアイデアじゃないかもしれないね.....君は僕にすぐそこに来てほしいんだろうけど、僕はまだ何も知らないんだ。最初の2枚のアルバムを覚えるのにどれくらいかかると思う?”と言った。彼女は“どれくらいかかる?”と言われたので、僕は“1週間くれたら準備できる”と言った。そしたら彼女は“わかった、あなたの言うとおり、これはいい考えじゃないかもしれない”と言って彼女は電話を切り、僕は電話を叩き切ったんだ。
(思い返してため息をつく)イライラしていたのを覚えているよ。“くそっ......チャンスだったのに.....”と思った。彼らの次のアルバムが(ライヴ・アルバム)『Speak of the Devil』で、サバスの曲ばかりだった。彼らはツアーでその曲を演奏していた。だから僕を欲しかったんだろうね。でも僕はそれを知らなかったんだ」
エース・フレーリーがキッスを脱退し、ヴィニー・ヴィンセントが後任に決定するまでの間、さまざまなギタリストが検討されていました。ブラッタも候補に挙がっていました。
「僕のカヴァー・バンドにはギタリストが2人いて、エースという男と僕がいた。彼はエース・フレーリーのような髪型で、ペンタトニックスケール多用していた。彼は僕とは全然違っていた。彼は、エースがキッスを脱退したとき、オーディションを受けるためにカリフォルニアに行った。彼がニューヨークに戻ったとき、ポール(スタンレー)とジーン(シモンズ)が彼のライヴを観に、僕らが演奏していたクラブに現れた。
彼らがそこにいることは知っていたけど、彼らは彼に会いに来たんだろうから、僕はただ自分のことをやったんだ。
簡単に言うと、ライヴでは僕が人気をさらったんだ(笑)。ステージから降りると、ポールとジーンが僕と話したいと言ってきた。彼らは僕が“キッスにぴったりだ”と思ったんだ。おそらく彼らが欠けていた現代的なことを全部やっていたからだろうね。タッピングとか、そういうことをやっていて、彼らはそれが気に入った。それで、彼らはこう言った。“キッスにぴったりだと思う。レスポールを弾いてくれないか?”とね。
レスポールを弾いてくれないかと聞かれたとき、僕はすぐに興味がないことがわかった。どうしてもイメージできなかった。でも、レスポールを弾くのは、それでそれでいいとも思っていた。それから、名前を聞かれて、彼らは“君の名前は民族的すぎる。変更を検討したことはないのか?”と言われた。僕は名前を変えるつもりはなかった。真面目な話、“ジーン・シモンズ”は民族的じゃない? おいおい」