非常に長く多彩なキャリアを刻んできたヨハネスブルグ生まれのラビンは、イエスに1983年からの12年間、アルバム4枚にわたり在籍していたことで最もよく知られている。同年にリリースされた大ヒット曲「ロンリー・ハート(Owner Of A Lonely Heart)」がアメリカのビルボード誌チャートの1位を獲得したことをきっかけに、プログレッシヴ・ロック界のアイコン的バンドはより多くの聴衆に受け入れられるきっかけとなった。ラビンは2017年、バンドとともにロックンロールの殿堂入りを果たした。また近年は、イエスの元メンバーであるジョン・アンダーソンとリック・ウェイクマンとともにアンダーソン、ラビン&ウェイクマン(ARW)を結成している。
前回のヴォーカルをフィーチャーしたソロ・アルバム『キャント・ルック・アウェイ』のリリースが1989年(2012年の『Jacaranda』は全曲インストゥルメンタル)だったということは、ラビンがその続作を30年以上待たせ続けていたということである。トレヴァーは自身の家族を含め、各方面からプロセスを早めるようにとプレッシャーを受けていたことを認めている。しかし、リリースが遅れたのもやむを得ない。1994年のアルバム『トーク』を最後にイエスを脱退して以来、主に2016年にARWの一員としてツアー活動を始める前段階として、ギタリストの彼は時間のかかる映画のサウンドトラック界に進出していた。しかも、ただの古い映画ではない。トレヴァーの名前は『コン・エアー』、『アルマゲドン』、『タイタンズを忘れない(Remember the Titans)』、『エネミー・オブ・アメリカ(Enemy Of The State)』、『ディープ・ブルー(Deep Blue Sea)』、『グローリー・ロード』、『60セカンズ(Gone In 60 Seconds)』、『ナショナル・トレジャー』シリーズの2作といった大ヒット映画の作曲者として登場している。「この10年間にわたってアイデアやコンセプトがあったけれど、忙しいスケジュールの都合で実行に移せなかった」と彼は説明してこう付け加える。「年月があっという間に過ぎ去っていったというのが正直なところだね。今こそかたちにするべきだと確信して、いったん勢いに乗ったら四六時中アルバム作りに取り組んだよ」。そのプロセスは愛ゆえに苦労を厭わずに進んだものだった。そして自身のソロ第1作目『トレヴァー・ラビン』(1977年)と第2作目『フェイス・トゥ・フェイス』と同様、ラビンはほぼすべての楽器を自分で担当した。 ラビンの孫娘にちなんで『リオ』と名づけられたこのアルバムの表紙(アートワーク)はトレヴァー本人の手によるもの。「デジタル・アートをかじっているから、自分で作った画像をいくつかレーベルに送ったんだ。気に入ってもらえたのは嬉しい驚きだったよ」。