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ロバート・フリップ サンデーランチ・シリーズについて語る カヴァー曲は事前にかなり研究/デイヴ・ムステインを尊敬/リッチー・ブラックモア等

2023/09/01 16:00掲載
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Toyah And Roberts Sunday Lunch - HOLY WARS
Toyah And Roberts Sunday Lunch - HOLY WARS
キング・クリムゾン(King Crimson)ロバート・フリップ(Robert Fripp)は、彼の妻であるトーヤ・ウィルコックス(Toyah Willcox)と共に毎週日曜日に公開している夫婦漫才/映像シリーズ「Toyah & Robert's Sunday Lunch」について新たに語る。ロックやメタルの名曲をカヴァーする際は事前にかなり研究していることや、オリジナル・プレイヤーに敬意を表するよう努力していることを話し、またデイヴ・ムステインをとても尊敬するようになった理由や、カーク・ハメットが素晴らしいプレイヤーである理由、リッチー・ブラックモアについてなどを米Guitar Worldの新しいインタビューの中で話しています。

Q:サンデー・ランチはiPhoneで撮影・録音されると聞きました。それは本当ですか?

「そうだよ。撮影はトーヤのiPhoneで行われているから、彼女が身を乗り出して話すと、マイクがギターの音をカットしてしまうんだ。本当にがたがた。時々、洗濯物を下ろすのを忘れる。後でビデオを見ると、洗濯物が干してあったり、ティータオルが干してあったり、いろいろある。実際の僕たちのキッチンだ」

Q:いくつかのビデオには、シドニー・ジェイクと呼ばれる覆面男が出演していますね。この秘密めいたキャラクターについて教えてください。

「なんて言ったらいいのかな。シドニーはとても内向的で引っ込み思案。彼は僕の個人的なギターの生徒で、1975年以来の生徒。彼自身、ギターの先生でもある。キング・クリムゾンがツアーに出ている合間にサンデー・ランチをやっていた時期があったんだが、実際の仕事量は大変で、特定の曲を覚え、それを立派に披露しなければならない。全部はできなかった。だからシドニーに入ってもらって、2番目のギター・パートで補強してくれたんだ。キング・クリムゾンの後は、トーヤ&ロバートに戻った」

Q:キング・クリムゾンの後…ということは、それは間違いなく終わったということなのでしょうか、それとも遠い未来にまたツアーをする望みが少しでもあるということなのでしょうか?

「1974年、1984年、2003年、そして2008年にキング・クリムゾンから離れようとした経験から、そう言うのは難しいだろうと学んだ!今となっては、考慮しなければならない要素がある。現在の計画がないことは認めなければならないが、過去に活動休止したときも計画はなかった。僕は今、トーヤ&ロバートという別のバンドに専念していることも考慮しなければならない。

トニー・レヴィンはピーター・ガブリエルとツアー中だし、バンドの他のメンバーはみんな働いている。僕とトーヤは、グラストンベリーやワイト島などのフェスティバルに参加している。来年の計画も立てている。いろいろあるんだ...僕は77歳だしね。年齢も影響する。キング・クリムゾンのような複雑なものを考えると、次のツアーでは80歳に近い男が3人いることになる(フリップ、レヴィン、メル・コリンズ)。可能性はあるのか? まあ、それについてはコメントできないが、僕の関心はトーヤとのこの新しいプロジェクトにある」

Q:サンデー・ランチの選曲の中には、特にメタリックなものが多く、人々を驚かせたと言っていいでしょう。選曲のプロセスはどのようなものですか?

「背景を説明すると、僕は1985年からCペンタトニック・チューニングで活動している。だから、サンデー・ランチの前の35年余りは、スタンダードが一般的なロックンロールでは見かけないチューニングを使っていた。長い間かけて基本的なEチューニングに慣れなければならなかった。選曲に関しては、僕が提案するか、トーヤが提案する。

まず歌える曲で、彼女が歌いたいと思うものでなければならない。キーボードがメインなのか、ギターが複数あるのかも考慮しなければならない。ギタリスト1人がシンガーのバックを務めると、技術的な問題が出てくることもあるからね。曲を決めたら、その曲を研究する」

Q:具体的にはどうするんですか?

「オリジナルのスタジオ・ヴァージョンをダウンロードし、それからさまざまなライヴ・ヴァージョンを調べ、最後に他のアーティストがその曲をカヴァーしていないかどうかを調べる。その曲の紆余曲折を見たいので、できればライヴがいい。それからオンラインのギター・レッスンを見てみる。先生によってやり方が違うから、ギター1本に絞ったアコースティック・ヴァージョンがある場合は、それに注目することが多い。

5、6分の曲を90秒で演奏する場合、重要な要素は何か?16小節のイントロがあったとして、それをたった2小節で参照できるだろうか? そうすれば、人々は“フリップは下調べをしたんだ。全部は演奏していないけど、そこにあることは分かっている”と考えるだろう。そうやってリサーチした上で、オリジナル・アーティストに敬意を払いながら、それを学び、“自分ならこれをどうするか、これにどう関わるか”を考え始めるんだ」

Q:長年にわたり、非常に詳細なアレンジや豪華なプロダクションに専念してきたことを考えると、これほどまでに物事を研究するのも納得がいくが......。

「サンデー・ランチでの僕の役割に対する極端な反応は2つある。ひとつは“これは彼にふさわしくない:ロバートはキング・クリムゾンで真面目なギタリストだ”というものだが、これはばかばかしい! 基本的に、僕は現役のプレイヤーだ。サンデー・ランチで音楽と関わるときは、常に敬意を払っている。バカにしているわけではないし、バカげたロック・リフを弾くようなことはしない。それはとんでもない話しだ。僕は、有名なレコーディングに参加したオリジナル・プレイヤーに敬意を表するよう努力している。

もう一方の極端な反応は“フリップはロックンロールを演奏できない!”というものだが、これは2つの反応の中では、より正確なものだ。トニー・アイオミ、ジミー・ペイジ、リッチー・ブラックモアのようなプレイヤーの曲を演奏するときは、細部にまで注意を払う必要があるクラシック・プレイヤーだと思わなければならない」

Q:あなたのお気に入りはどれでしたか? 今まであまりよく知らなかったアーティストで、ファンとして称賛している人はいますか?

「メガデスの“Holy Wars...The Punishment Due”をやったとき、デイヴ・ムステインが真面目なプレイヤーであることがわかった。彼は音楽的に僕とは違う考え方をしている。でも似ているところもある。彼のプレイを研究しているとわかるんだが、彼はパターンで動くようで、そのパターンの中でバリエーションを展開したり取り入れたりしている。

彼のことを個人的に知っているわけではない。彼に一番近づいたのは、昨年11月に(ニューヨーク州)オールバニーで彼と同じホテルに泊まった時。メガデスがジムでワークアウトしているのを見かけたので、そこにいると言われていたが、隔離されていたので、自己紹介もできず、敬意も払えなかった。

メガデスの曲は僕にとって挑戦だった。あの曲をきちんと演奏するには3ヶ月かかった。1日4時間から8時間は練習した。かなりの集中力が必要だった。90秒でも、できる限り努力す必要があった。彼のことは以前はあまりよく知らなかったが、最終的にはとても尊敬するようになった」



Q:KoRnの「Blind」をサンデー・ランチで取り上げたのには驚きました

「“Blind”をやることになったとき、初めてKoRnを聴いたが、ヘッドとマンキーにすごく感銘を受けた。彼らは7弦とオルタナティヴ・チューニングに凝っている。1997年にスティーヴ・ヴァイと初めてG3で一緒に仕事をしたとき、僕は実は“G4”だった。僕は3人のシュレッダー(速弾き)の1人として立つよりも、ただ音楽を演奏していた。スティーヴは、おそらく7弦を使った最初のメインストリームの人で、彼のために作られたIbanezを使っていた。僕は持っていなかったから、フェルナンデスが作ってくれた。その後はキング・クリムゾンとギター・クラフトの仕事ばかりで、使う機会がなかった。その後、シアトルのクリムゾンの倉庫に保管され、数ヶ月前までここに戻ってこなかったんだ」



Q:「Enter Sandman」を抜きにしてメタリックなカヴァーを語ることはできません。

「トーヤも僕もメタリカのことはかなり前から知っていたが、サンデー・ランチを聴くまではメタリカの曲を学んだことはなかった。僕たちはこの曲が大好きだから、実際にツアーで演奏している。僕はカークとジェイムズを1人のプレイヤーとして見ている。僕にとって、この2人は結びつきが強いんだ。僕は彼らのさまざまなキャリアで演奏された(“Enter Sandman”の)ヴァージョンに触れてみた。最近は半音下げて演奏しているようだが、それはまったく正当。ライヴでこの曲を演奏するのは本当にすごい。

数年前、カークが1981年の“Discipline”で僕とエイドリアン・ブリューの入れ替わったパートを発見し、それを楽しんだという話をどこかで読んだことがある。それはわからないが、僕が知っているのは、カークは素晴らしいプレイヤーだということ。“Enter Sandman”のソロは本当に素晴らしい! 僕もそれを学び、かなり難しいが、とても楽しい。。きちんと理解するためには努力が必要なんだ。メタリカと“Enter Sandman”は大好きだよ」



Q:印象に残っているカヴァーはありますか?

「サンデー・ランチをやるまでは、KoRn、メガデス、スリップノットのことはあまり知らなかったが、ビリー・ギボンズとZZトップはある程度知っていた。キング・クリムゾンは1974年にデンバーのスタジアムでZZトップのサポートをした。僕たちが登場すると、およそ20分後に音が完全に消えた。理由はわからなかったが、ステージを去った。20年後、電源を切ったのはZZトップだと知ったが、それにはいろいろな説がある。ある人はツアー・マネージャーがやったと言ったが、他の人はビリー・ギボンズが僕たちのことを気に入らなくてあんなことをさせたと言っている。もうひとつは、ツアー・マネージャーが僕たちのことを嫌っていたという説。僕は知らない!ツアーは長くは続かなかった。“Sharp Dressed Man”に関しては、僕が知っているベスト・ヴァージョンは『Billy Gibbons Live at Daryl's House』。これを読んでいる人には、それを調べることを薦めたい」

Q:トーヤと「Smoke on the Water」に取り組んだとき、あなたは間違いなく最も象徴的なギター・リフもカヴァーしました。

「それも楽しかった。リッチー・ブラックモアが18歳のときに、ドーセット州プールのダンスホールでライヴを見た。僕は17歳くらいだったから、1963年か1964年頃のことだと思う。リッチーはアウトローズと一緒に演奏していた。YouTubeに彼らと一緒にいる映像があるかもしれない。

僕の感覚では、彼が18歳になったとき、そのバンドで自分がやるだけのことはやったと悟ったんだと思う。彼は超一流だった。リッチーは成長し続けたのだから、上達しなかったと言うのは不公平だろうが、僕が言いたいのは、18歳にして彼は絶対に完璧だったということ。

彼は(スクリーミング・ロード)サッチや、ストロベリーという神話のようなギタリストと一緒に活動していた。ストロベリーは、報道では誰もが耳にしたことのある人物だったが、当時は誰も彼の正体を知らなかったようだ。彼は観客に背を向けて演奏し、60年代初期に見ていた僕たちにとっては伝説的なプレイヤーだった。

ストロベリーには会えなかったが、リッチーには会えた。彼はすべての動き、すべてのスイング、すべてのチョップを持っていた。通りすがりにほんの少し会って、僕たちはうなずいた。彼に対する僕のうなずきは、大きな尊敬の表れだった」