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リック・アレンが左腕を失った後 初めて正式にデフ・レパードのライヴに復帰してから37年 そこにたどり着くまでのストーリーを自身の言葉で語る

2023/08/17 18:32掲載
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Rick Allen returns to Donington
Rick Allen returns to Donington
37年前の1986年8月16日、デフ・レパード(Def Leppard)のドラマーであるリック・アレン(Rick Allen)が、交通事故で左腕を失った後、初めて正式にデフ・レパードのライヴに復帰しました。アレンは、自身がそこにたどり着くまでのストーリーを、英Classic Rock誌に語っています。

彼が正式にデフ・レパードのステージに復帰を果たしたのは、1986年8月16日にキャッスル・ドニントンで開催された<Monsters Of Rock>でのことでした。厳密に言えば、デフ・レパードはそれに先駆けてアイルランドでウォームアップ・ミニ・ツアーを行っており、ジェフ・リッチをサポート・ドラマーとして帯同させ、ツイン・ドラム体制でライヴを行っていました。

「事故の後、入院して、少なくとも6ヵ月はそこにいるだろうと言われた。でも、プロデューサーのマット・ランジ(マット・ラング)が僕の尻に火をつけてくれたし、ハレー・クリシュナの人たちが毎日健康的な食事を持ってきてくれたりと、たくさんの人が訪ねてきてくれた。結局、僕は1ヵ月でそこを去った。

その後、ある人たちがバンドに“まさか見世物をステージで演奏させるつもりじゃないだろうな?”と言ったらしい。幸いなことに、僕はそんなことは聞いていない。もう二度とドラムは叩けないと言われ続けてきたけど、スティーヴ・クラークとフィル・コレンが会いに来てくれて初めて、そうではないと思うようになった。2人ともすごく酔っぱらっていたけどね。僕はベッドの下にあった大きな発泡スチロールで練習していたんだけど、ピート・ハーレイの助けを借りて、エレクトリック・キットを作ってもらって、僕はまたプレーを覚えた。

バンドに再び参加できるところまで戻るのは、とても大変だった。最初は歩くことさえ試練だったけど、ドロンフィールドの実家の一室に閉じこもって、ただひたすら演奏した。もう無理だと思ったこともあったし、丸くちぢこまって、あきらめようと思ったこともあった。でも、我慢したんだ。

1986年8月16日、僕たちはキャッスル・ドニントンで開催された<Monsters Of Rock>に出演することになった。バンドはすでにアイルランドで3回のウォームアップ・ギグを行い、ジェフ・リッチは純粋に安全策としてアコースティック・セットで手伝ってくれていた。ジェフは4回目のライヴのための飛行機に乗り遅れたので、彼が現れる前に僕がひとりで6曲ほど演奏した。次のライヴでは、ステージが2台のドラム・セットを置くほど広くはなかったので、僕ひとりで演奏した。その後、ジェフは“明日、家に帰ることになりそうだ”と言った。次のダブリンでのライヴも一人でやった。

<Monsters Of Rock>の当日は、とてもシュールな気分だった。緊張はしていたけれど、自分にはこれができるということはわかっていた。バックステージでは、自分が注目の的であることを不思議に感じていた。オジーからスコーピオンズまで、みんなが僕の成功を祈り、励ましてくれた。誰もが僕に賛同し、今起きていることが唯一無二なことだと知っていたので、僕は圧倒的なサポートを感じていた。ジョー・エリオットと僕はバックステージのトレーラーに立ち、2人でウイスキーをボトル1本分も飲み干した。開演時間が近づくにつれ、心が沸き立ってきた。素晴らしいものになるか、あるいは大失敗に終わるかのどちらかだと悟った。

開演前、僕たちはただのライヴのひとつのように扱おうと決めていた。でも、変なわざとらしさはなく、圧倒的な愛の雰囲気が漂っていたので、すぐに大丈夫だとわかった。ジョーに何かを言わせようとする観客のエネルギーが渦巻いていた。彼には選択の余地はなかった。彼がとても美しく僕を紹介し、観客のどよめきがあまりに大きかったので、僕は涙をこぼした。“くそっ...このペダルの上で泣いたら感電死するんじゃないか...”と思った。30年経った今でも、あの日は僕の人生のトップ5に入る瞬間だよ。ドニントンに戻ってくるたびに、僕はこの場所で一人前の男になったのだと実感する。

僕は、その顛末が対処すべき問題を残していたことに気づかなかった。本当はカウンセリングの申し出を受けるべきだったが、僕は頑固だった。暗い面もあった。オランダ、特にアムステルダムでのアルバム『Hysteria』のレコーディングは、僕を間違った道へと導いた。僕は自己治療を始め、いくつかの興味深い薬を見つけた。

今となっては、ドニントン以降が、本当の意味での自分自身を取り戻すための作業が始まったときだったと思っている。今日まで、僕は軍隊と多くの仕事をしてきた。僕自身のトラウマは戦闘とは関係なかったけど、僕は兵士たちから多くのことを学んだし、彼らが僕からも学んでくれることを願っている。そしてもちろん、あの特別な日のことはずっと忘れないよ」