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シネイド・オコナー死去

2023/07/27 09:06掲載(Last Update:2023/07/27 20:03)
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Sinead O’Connor
Sinead O’Connor
アイルランドのシンガー、シネイド・オコナー(シニード・オコナー/Sinead O’Connor)が死去。家族が発表。死因は明らかにされていません。56歳でした。

以下、家族の声明より

「私たちの愛するシネイドが亡くなったことを、大きな悲しみとともにお知らせします。彼女の家族と友人たちは打ちのめされており、この非常に困難な時期にプライバシーを守ることを望んでいます」

【update:023/07/27 20:01】
英デイリー・メール紙によると、オコナーは英国時間7月26日、ロンドン南東部の自宅で意識のない状態で発見されました。同日午前11時過ぎに警察に通報され、警察はその場でオコナーが亡くなっているのを確認します。警察は、オコナーの死を不審なものとは扱っていないと同紙は報じています。

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シネイド・オコナーことシネイド・マリー・ベルナデット・オコナーは1966年12月、ダブリン州グレナゲリーで生まれる。

10代の頃、彼女はダブリンのアン・グリアナン・トレーニング・センターに預けられた。この施設はマグダレン・ランドリーズのひとつで、当時のアイルランドで支配的だった厳格なカトリックの戒律に依拠した道徳観に基づき、“落ちた”とみなされた女性たちを収容していた。

ある修道女が彼女にギターを買い与え、音楽の先生をつけたことが、オコナーの音楽家としてのキャリアをスタートさせるきっかけとなった。

1987年にリリースしたファースト・アルバム『The Lion And The Cobra』は、イギリスとアメリカでトップ40入りを果たし、高い評価を得た。

続く1990年のセカンド・アルバム『I Do Not Want What I Haven't Got』には、「Nothing Compares 2 U」が収録されている。プリンスによって書かれたこの曲は、アメリカとイギリスを含む世界中で1位を獲得した。

社会的、政治的な見解を率直に語っていたオコナーは、1987年から2014年の間に10枚のスタジオ・アルバムをリリースした。

1991年、彼女はローリング・ストーン誌の年間最優秀アーティストに選ばれ、ブリット・アワードの国際的な女性ソロ・アーティスト賞を受賞した。

その翌年、彼女のキャリアの中で最も注目された出来事のひとつが起きた。出演した米TV番組『サタデー・ナイト・ライブ』で、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の写真を破り捨てた。ボブ・マーリーの「War」をアカペラで演奏した後、彼女はカメラ目線で「本当の敵と戦え」と言ったが、これはカトリック教会における児童への性的虐待に対する抗議だった。その結果、彼女は放送局NBCから永久追放処分を受け、アメリカでは彼女に対する抗議デモが起こり、ニューヨークのタイムズスクエアでは彼女のレコードが破壊された。

「私は後悔していません。あれは素晴らしかった」と彼女は2021年のニューヨーク・タイムズ紙のインタビューで語っている。

オコナーの最後のスタジオ・アルバムは2014年の『I'm Not Bossy, I'm The Boss』だった。

2018年にイスラム教に改宗したオコナーは、名前をシュハダ・サダカット (Shuhada' Sadaqat)に変えたが、出生名でパフォーマンスを続けた。2021年に回顧録『Rememberings』を発表した。

2022年1月、17歳の息子シェーンが行方不明となり、その後、遺体で発見された。オコナーはその後、息子の死による「悲しみが続いている」ことを理由に、2022年の残りのライヴ・パフォーマンスをすべてキャンセルした。