ジェーン・バーキン(Jane Birkin)が死去。フランスの新聞Le Parisien紙は、7月16日にパリの自宅で亡くなったと報じています。死因はまだ確認されていません。76歳でした。
ジェーン・バーキンは1946年12月14日、ロンドンのメリルボーン地区生まれ。1960年代後半にフランスに定住し、その後フランスに帰化した。俳優・女優・監督・脚本家と、多彩な顔を持つ。
1965年にリチャード・レスターの『ナック』で端役で映画デビュー。この映画音楽を担当していたジョン・バリーと18歳で結婚、長女ケイトを出産したが、その結婚生活は数年で終焉を迎えた。
1968年にフランスに渡り、『スローガン』でセルジュ・ゲンズブールと共演。この映画がきっかけとなり、二人は事実婚関係となった。翌年には二人のデュエットによる、反社会的な性表現が一世を風靡した問題曲『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』(1975年には映画化も)を発表。全英ヒットチャートナンバーワンを記録するものの、全世界的に放送禁止曲になるなど、物議を醸した。併行して、セルジュの巧みなプロデュース力により、ジェーンはヌーディな装いで度々人前に出るなど、性的な関係を全面に打ち出した過激なカップルとしてのイメージを定着させていった。1971年に次女シャルロット・ゲンズブールが誕生するも、度重なるセルジュの酒乱によるDV行動から逃れるように、彼女はセルジュとシャルロットの元を離れることになる。しかしセルジュの晩年には関係を修復し、1991年に彼が病死するまで交流は続いた。
1980年代に入ると、『ラ・ピラート』や『ポネット』のジャック・ドワイヨン監督と事実婚関係となり、三女ルーが生まれる。ドワイヨンは、ジェーンとの関係をモデルにしたとされている『愛されすぎて』(1992)を、シャルロット・ゲンズブールとイヴァン・アタルを主演に迎えて発表。この映画の内容をめぐって二人の関係は悪化、ジェーンはドワイヨンの元を去っていった。
ジェーンは大の親日家としても知られ、コンサートや映画のプロモーションだけでなく、プライベートでも頻繁に日本を訪れ、東日本大震災の時はわずか20数日後に被災地に慰問に訪れている。2018年には春の叙勲で旭日小綬章を受賞した。
1998年には白血病と診断され、2013年には再発が伝えられた。2022年にはフランスのメディアに軽い脳卒中にかかっていることを告白。この前後から長い休業に入っていた。