リンゴ・スター(Ringo Starr)は、サイトvultureのインタビューの中で、「好きなビートルズ陰謀説」「『きかんしゃトーマス』の初代ナレーターを引き受けた理由」「最も過小評価されているビートルズのドラミング・パフォーマンス」「ライヴで演奏することに最も喜びを感じる曲」について話しています。
■好きなビートルズ陰謀説
「1つだけ引っかかったことがある。“ポールが死んだ”という1969年の説(マッカートニーが交通事故で死に、バンドが偽者とすり替えた...”というもの)。あと、“秘密”だと指摘された曲もあった。ジョンは偶然、テープの逆再生を覚えたんだけど、それをフル活用した。曲の最後にくだらないことをやって、それが新聞やラジオで取り上げられたんだ。実際には、くだらないことを歌っているんだよ。それでみんな笑ったんだ。僕たちが言った関心を引くことは、どれもそれほど面白くなかったからね。大笑いしたよ。(なにかあると疑う)彼らが今言っていることを見てごらんよ」
■『きかんしゃトーマス』の初代ナレーターを引き受けた理由
「本当に素晴らしい仕事だった。番組のプロデューサーが僕のところにアイディアを持ってきたんだ。“『きかんしゃトーマス』という作品のナレーションをやってほしい”とね。僕はそういうことをやったことがなかったので、声をかけられたときは戸惑ったよ。うちの子供たちは宇宙船とかに夢中だったからね。でも今思えば、僕の子供たちが子供向けのものに夢中になっていた記憶はあまりないな。ナレーションはやったことがなかった。1週間ほどダラダラと時を過ごたあと、当時、家にスタジオがあったんで、“とにかく4つの物語を読んで、それを送って、もし気に入ってもらえたら仕事をしよう”と思ったんだ。そして、彼らは気に入ってくれた。
たくさんの物語があった。トーマスは楽しかった。大きなエンジンがあって、そこに体を入れることができた。僕は誰の言いなりにもなっていなかった。イギリスでストーリーを作り、ニューヨークで撮影することになった。それがテレビ番組になったんだ。
子供たちとは身長が2フィート(約60cm)、いや、18インチ(約45cm)ほどしか違わなかったから、お互いに反応し合えた。でも、4年も経つと“もう十分やった。ありがとう”となってくる。それで終わりにして、ニューヨークで素敵なディナーに出かけて、みんなにさよならを言ったんだ。
80年代半ばは、僕の人生において興味深い時期だった。トーマスの間、僕は音楽を演奏し、アルバムを作ろうとしていたけど、ライヴはしていなかった。その後、アルバムはまったく作らなくなり、またすべてが変わってしまった。人生には豊かな変化のパターンがある。突然、ある人がロサンゼルスの僕の弁護士に連絡してきて、ツアーをやらないかと言ってきた。僕には他にすることがなかった。トーマスはもういない。僕は“もちろん”と答えた。そして“どうする?”と思い考えた。たくさんのプレーヤーを誘って、ツアーに参加したいかどうか聞いてみた。全員がイエスと答えてくれて、そうしてオールスター・バンドが始まったんだ」
■最も過小評価されているビートルズのドラミング・パフォーマンス
「難しいな。素晴らしい曲はたくさんある。ロックやバラードが多いから、ただ座って演奏しているだけだよ。ピーター・ジャクソンのドキュメンタリー映画には、そういうのが見れる良さがある。長いんだよ。彼らが曲を作っている間、僕はテンポをキープしている。そして曲が完成したら、自分の仕事ができる。僕は、彼らがどこで歌うかを知っているので、他のドラマーがやるような、シンガーの上にかぶさるような演奏はしないようにしているんだ。同じドラム・フィルは2回できない。感情として出てくるものだから、ありえない。“オーケー、3小節半、ブーン、ブーン”みたいな感じじゃない。そんな風に演奏したことはない。感じたままに演奏する。フィルがそこにあるように感じることもあれば、いや、実はフィルがそこにあるんだ、と感じることもある。それが僕のやり方、僕の演奏なんだ。トラック以外のことは考えていない。あの3人と共に、僕たちは超自然的だった。ヘッドホンをして、何も見ずに、目を閉じて演奏していても、ここが動くってわかる。バーン、よし、戻そう。お互いに話す必要がないような感じだった。一旦カウントが入れば、何をするかはわかっていた」
■ライヴで演奏することに最も喜びを感じる曲
「“Boys”だね。ずっとやっているんだけど、女の子の曲なんだ。シュレルズという素晴らしいガールズ・グループがオリジナル。ビートルズの前にローリー・ストームとハリケーンズでも演奏していたんだけど、とにかくロックなんだ。何年経ってもこの曲をやっていることが微笑ましいよ」