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ジョン・フルシアンテ 11歳の時に初めて書いた曲は一緒に野球をしていた生意気な子を殺してやりたいというパンク・ソングだった

2023/06/23 17:43掲載
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John Frusciante
John Frusciante
レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(Red Hot Chili Peppers)ジョン・フルシアンテ(John Frusciante)が11歳ぐらいの時に書いた初めての楽曲は、一緒に野球をしていた生意気な子を殺してやりたいというパンク・ソングだったという。バンドメイトのフリーがホストを務めるポッドキャスト『This Little Light』の中で話しています。

彼は、7歳か8歳の時にギターを少し習った後、数年後の11歳頃に再びギターを手にしたと説明し、こう話しています。

「しばらくニュー・ウェイヴやパンクにのめり込んでいたんだけど、ある日、自分の中にフラストレーションが溜まっていくのを感じたんだ。一緒に野球をしていた何人かの子供に腹が立ったので、ホセという子供を殺してやりたいという曲を書いたんだ。“I'm Going to Kill Jose(ホセを殺しに行く)”というのが曲名だった。彼は本当に生意気な子だった。あの夜、ずっと曲を書き続けたんだ」

彼はギターの弾き方をマスターしていなかったので、おそらくギターをオープン・チューニングにしたのだろうとフルシアンテは推測しています。

「指一本だけコードが鳴るようにチューニングしたと思う。 カセットテープ1本分を書くほどインスピレーションを受けたんだよ。カセットテープを小さなパンクの曲でいっぱいにしたんだ」

残念ながら、「I'm Going to Kill Jose」や、その夜にフルシアンテが書いた他の曲を聴くことはできないようです。

フリーがフルシアンテにテープをまだ持っているかと尋ねると、「いや、いや、いや。その1年後、いたずら電話を録音するために、その上から録音していただろうね」と答えています。

また同じインタビューの中で、ギタリストとして自分の居場所を見つけるのに苦労したことも振り返っています。

「(幼い頃から多くの教師のレッスンを受けて育ったジョンは)いつかはギタリストになって、バンドとかに参加するんだろうなという予感はあったけど、でも、14~15歳の頃になると“僕は何を(ギターで)語りたいのか?”という疑問が頭の中にあった」

エディ・ヴァン・ヘイレン、スティーヴ・ヴァイ、ジェフ・ベックなど、当時のギターの巨匠たちを思い浮かべながら、ギターの世界の中で自分の居場所を見つけるのに苦労したと認めています。ジョンは、レッド・ホット・チリ・ペッパーズに加入し、ツアーを行い、そして2枚目のアルバムを一緒に作るためにスタジオに入った後、「おそらく『Blood Sugar(Sex Magic)』を書き始めてから」、ようやく自分の本当のサウンドを見つけたように感じたと言っています。

「以前は自分のアイデンティティを他のギタリスト(のアイデンティティ)と結びつけていた...それが自分のアイデンティティになった...でも、自分自身のビジョンがなかったんだ。(『Blood Sugar』は)作曲を始めたとき、初めてリラックスできた。いくつかのターニングポイントとなる瞬間があったんだ。

テレヴィジョンのアルバム『Marquee Moon』を聴いてギター・ソロがいかにパワフルなものであるかを知った。本当にシンプルに、ほとんど女性的なやり方で演奏することで、多くのことを語ることができていた。どういうわけかそのアルバムを見逃していたんだけど、手に入れたとき、すごく印象に残ったんだ。

ある日、ストーンズの“Sympathy For the Devil”を聴いた。あれ以上のギターソロはないし、あれほど素晴らしいギター・ソロはない。彼がやっていること、そしてそれがいかに雑なのかを聞いてほしい! そして、僕は(それまでの考えが)すっかり消えてなくなったんだ」