ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)が亡くなる前、彼と
ラヴ(Love)の
アーサー・リー(Arthur Lee)は、
スティーヴ・ウィンウッド(Steve Winwood)と共に新しいバンドを結成する計画を練っていたという。ラヴのギタリスト、ジョン・エコールズが英Mojo誌の新しいインタビューの中で明らかにしています。
エコールズは、60年代前半からヘンドリックスのことを知っていました。
「ジミと初めて出会ったのは1964年で、カリフォルニア・クラブでハウスバンドをやっていたときだった。当時、彼はまだ(ジミ・ヘンドリックスとは名乗らず)ジミ・ジェームズで、アイズレー・ブラザーズと一緒に演奏していたんだけど、オージェイズのオーディションを受けるために来ていた。その少し後、ビリー・プレストンとリトル・リチャードと僕の3人でレコーディング・セッションに行ったんだけど、その時に初めて彼と本格的に話をした。彼は静かで内省的な人で、まあまあのギタリスト、ジャーニーマン(※まずまずの職人)と言ったところだった。
クラブを渡り歩いて大金を稼いでいたわけではなく、ジミは服をクリーニングに出す代わりに、(※汗とにおいを抑える)ライトガードを吹きかけていた。20フィート(約6メートル)離れていても、臭いで彼が来ていることがわかった。
ジミはアーサーと意気投合し、アーサーはローザ・リー・ブルックスと組んだR&Bシングル“My Diary”(1965年)にジミを起用した。数年後、サンフランシスコで友人からジミ・ヘンドリックスというすごいギタリストの話を聞いたんだけど、それがあのジミのことだとは思わなかった。数日後の夜(1967年7月2日)、そのギタリストをチェックするためにウィスキー・ア・ゴー・ゴーに行くと、アーサーが“俺たちと一緒に演奏した奴じゃないか!”と言った。
以前はカーディガンと細いネクタイを着用し、髪をセットしていたが、今はフリンジの付いたジャケットにブーツというヒッピースタイルに身を包み、ステージ上ではクライベイビーのワウワウペダルを使っていた。僕も試したことがあるけど、彼はフィードバックやディストーションなど、ギタリストがやっていなかったことをやっていた。信じられなかった!
彼が休憩しているとき、アーサーと僕は楽屋に行って話しをした。何があったんだ? (ロバート・ジョンソンの伝説のように、悪魔に魂を売り渡して、その引き換えにテクニックを身につけるために)クロスロードに行ったのか? 彼は微笑んで“いや、薪小屋に行ったんだ”と言っていた。彼はただ練習に練習を重ねただけだった。
ジミは僕の知人だったが、彼はアーサーの友人だった。ラヴが別々の道を歩んだ後、ジミとアーサーは再び一緒にレコーディングをした(70年3月にロンドンのオリンピック・スタジオで、ラヴ“The Everlasting First”の再構成ヴァージョンを含む3曲を録音)。
また、ヴォーカルにスティーヴ・ウィンウッド、ドラムに
バディ・マイルス(Buddy Miles)、その他何人かのプレイヤーを迎えてスーパーグループを結成する話をしていたけど、ジミが亡くなったためそれ以上は進まなかったんだ」