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プリンスが名前を捨ててシンボルを自らの名前とした日から30年 関係者が当時の逸話を語る

2023/06/08 17:39掲載(Last Update:2024/10/12 20:03)
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the Artist Formerly Known As Prince
the Artist Formerly Known As Prince
プリンス(Prince)は1993年6月7日、35歳の誕生日にその名前を捨てて、シンボルを自らの名前としました。30年を迎えたことにあわせ、米Varietyは、当時プリンスの独立系広報担当だったマイケル・パグノッタと、ワーナー・ブラザーズ・レコードのクリエイティブ・サービス担当上級副社長で、後に同レーベルのゼネラルマネージャーとなるジェフ・ゴールドに当時の逸話を聞いています。

プリンスがこのようなことをした動機は明確に語られることはありませんでしたが、多くの人は、長年のレーベルであるワーナー・ブラザーズ・レコードとの契約を解除するための策略であると考えました。

実際、ワーナー・ブラザースは2つの主要な問題を解決しようとはしませんでした。1つは彼が望むほど頻繁に音楽をリリースできないこと、もう1つは彼ではなく会社が彼の録音物の権利を所有していることでした。特に彼は当時、1億ドルという高額な新しい契約を結んだばかりでした。このような状況に対する彼の不満はますます高まり、彼は自分の顔に「Slave(奴隷)」という文字を描くようになり、最終的には1996年の契約終了と同時に会社を去りました。

以下で2人は、1億ドルの契約を終えたあと、プリンスが名前を変えたときのことを振り返っています

ジェフ・ゴールド:
「彼はマスターを取り戻したいと騒いでいたけど、(ワーナー・ブラザース・レコードのトップ)モー(オースティン)の反応は基本的に“契約を再交渉する前にそう考えるべきだった”というものだった。ある日、モーがやってきて、“プリンスは名前を変えた”と言った」

マイケル・パグノッタ:
「(1993年)春の終わり頃、ほとんど何の連絡もなく、電話がかかってきた。プリンスが名前を変えるというものだった。死んだような静けさ! 僕はついに“何に?”と言った。“シンボル”だった。それが何を意味するのかは分かっていた。ツアー中のいくつかのライヴで、彼は僕にビデオカメラをアリーナの真ん中に持っていかせ、特注のジャンプスーツから(シンボルの小さな金属版を)僕に渡し、“これが何を意味すると思うか、みんなに聞いてみろ”と言っていたからね。

ある人は“ラヴ”と答え、“ユニティ”と答えた人もいた。でも、僕が尋ねた人々の80~90%は、男であれ女であれ、年配であれ若者であれ、誰であれ、プリンスと答えた。彼は(『1999年』から)このシンボルを使っていたので、人々はそれを見ていた。そして、そのシンボルとの同一性がほぼ完全であることに気づいたとき、彼はおそらく前進する気になったと思う。それで、すぐにプレスリリースを作成し、僕は灰の中から蘇る不死鳥とか、でたらめなことを書いた。

シンボルを入れたフロッピーディスクを送り、ビデオは、シンボルが背景から前景に現れ、“Current Affair”のような金属的な音で終わるというものだった。戦略を練る時間はなかったけれど、実はとてもよく考えられていたんだ」

ジェフ・ゴールド:
「プリンスは常に予想外のことをやっていた。“何事にも驚くな”が彼についての評判だった。でも、彼がこのようなことをするのは“君たちはプリンスと契約したけど、僕はもうプリンスではない。僕はシンボルだ”と言えるようにするためだということが、すぐに分かった。もちろん、そんなことはあり得ないのだが、私たちはそれを楽しむことにした。それがかえって彼を苛立たせてしまった。プリンスがまたおかしなことを言い出したので、私たちはそれを宣伝に使って注目を集めようと考えたわけだ。

ペイズリー・パークの人たちは、ある程度上司を恐れているんだけど、“私のボスから電話です”と電話をかけてくるので、滑稽に思うこともあった。私たちは“それは誰だ、プリンスか?”と尋ねると、彼らは“まあ、私のボスです”と言うので“君のボスは誰なんだ?”と言ったよ。私たちは、ただ親しみを込めて、彼らに苦言を呈していただけなんだ。

メディアもそれで楽しんでいた。“The Artist Formerly Known as Prince(かつてプリンスと呼ばれたアーティスト)”という略称が登場し、大いに盛り上がった。でも、実際のところ、今回もクレイジーなことだった。次のアルバムについて話していたとき、彼は“この(シンボル)だけでいい、ここに自分の名前を入れたくない”と言った。彼とはいろいろなものを共同制作していて、気心知れた仲だった。彼はマスコミに“自分は奴隷だ”“ワーナー・ブラザーズに騙されている”と話していたけど、彼は基本的には、私がこれまで接してきたのと同じ人だった」

「ある時、彼は私のオフィスで、ワーナー・ブラザーズが自分の出したいアルバムを全部出させてくれないと文句を言っていた。基本的には“たくさんの音楽をリリースして契約を終わらせよう”と言っていた。最終的に彼がやったことだった。彼は自分が何をしているのかよく分かっているし、私たちも彼が何をしているのかよく分かっていた。だから私は彼にこう言った。“私たちはこれらのアルバムの1枚1枚に前金として莫大な金額を支払っている。それらをマーケティングして2枚、3枚のシングルをリリースし、マーケットに間を空ける必要がある。3カ月ごとにアルバムをリリースするわけにはいかないんだ”。そして、彼が僕と打ち解けたのは本当に数少ないことだったんだけど、彼はこんなことを言っていた。“みんな、こういうアルバムは入念に練られた、コンセプトのあるものだと思ってるでしょ? 僕は常にスタジオにいる。そして“これはアルバムになる”と思えるだけの曲ができたら、それはアルバムになるんだ。だから、在庫はたくさんあるし、アルバムもたくさん出したいんだ”。本当の意味で彼と会話をしたのはその時だけだった。

彼の弁護士がビジネス関係者と話をしたり、そういうことで揉めることはあったかもしれないけど、私たちの誰とも揉めることはなかった。しかし、彼はプレスリリースで話をするのが好きで、ワーナー・ブラザーズのオフィスにも、マーケティング会議にも、“奴隷”のような顔をして現れるようになった! でも、彼が私たちと話さなかったり、私が彼に電話をかけられなかったり、ということは一度もなかった」

マイケル・パグノッタ:
「これは、少なくとも最近の音楽史において、面白いか、素晴らしいか、愚かか、ほとんど誰もが覚えている瞬間の1つです。世界で最も有名なミュージシャン、あるいは一人の人間が、自分自身をほとんど完全に消し去り、自分の名前を発音できない文字に変えてしまった。それはとてもばかばかしく、前代未聞のことで、同時に、信じられないほど現代的なことでもあった。プリンスはそんな謎めいた男だった。彼は僕に何かを言うのだけど、僕は彼が何を言っているのか理解できなかった。でも、半年後にドライブしていると、“ああ、こういう意味だったんだ”とわかるんだよ。当時はもちろん、最も馬鹿げたことのように思えていた。しかし、今となっては、本当に歴史的なことだと思っています」