「イパネマの娘(The Girl from Ipanema)」のヒットで知られるブラジルの歌手
アストラッド・ジルベルト(Astrud Gilberto)が死去。彼女の孫娘で同じく歌手のソフィア・ジルベルトがSNSで発表。また英The Independent紙はジルベルトの息子に彼女が亡くなったことを確認しています。死因は明らかにされていません。83歳でした。
以下、ソフィア・ジルベルトの声明より
「おばあちゃんのアストラッド・ジルベルトが私のために作ってくれた曲で“Linda Sofia”という曲です。実際、彼女は私の名前をリンダ・ソフィアにしたかったと言っていました。人生は美しい、この歌の通りですが、今日、おばあちゃんが星になって、おじいちゃんのジョアン・ジルベルトの隣にいるという悲しい知らせが届けられました。
アストラッドはイパネマからボサノヴァを世界に広めた真の少女でした。彼女はパイオニアであり、ベストでした。22歳のとき、“イパネマの娘”の英語版で歌声を披露し、世界的な名声を得ました。ボサノヴァのアンセムであるこの曲は、主に彼女のおかげで、世界で2番目に多く演奏される曲となったのです。 私はアストラッドを愛し、永遠に愛し続けます。彼女は世界のほとんどの地域でボサノヴァの顔であり声でした。アストラッドは永遠に私たちの心の中にいます。そして今この瞬間、私たちはアストラッドを祝福しなければなりません」
アストラッド・ジルベルトは1940年3月、ブラジル・バイーア州でアストラッド・エヴァンジェリーナ・ワイナート(Astrud Evangelina Weinert)として、ブラジル人の母とドイツ人の父親の間に生まれる。1959年にジョアン・ジルベルトと結婚し、1963年に米国に移住した。
同年3月、アストラッドはアルバム『ゲッツ/ジルベルト』に参加。そのときまで彼女はプロの歌手として歌ったことはなかったが、アストラッド自身による売り込みがあり、またプロデューサーのクリード・テイラーが、英語を話せ、かつ歌えるアストラッドの商業的価値を計算し、彼女が英語で歌う「イパネマの娘」が作られた。
「イパネマの娘」はその後、世界的なヒットとなり、全世界で500万枚以上を売り上げ、ボサノヴァの知名度を国際的に高めることになった。
またこの曲の大成功により、アストラッドは一躍スター歌手となり、その後まもなくソロ・デビューした。彼女はブラジルのボサノヴァと、アメリカのジャズ・スタンダードの架け橋的な役割を果たす。1970年代には、彼女自身が作曲した曲もレコーディングをおこなった。