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スノウィー・ホワイト、ピンク・フロイドのサポート・ギタリスト時代を振り返る

2023/06/06 20:40掲載
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Snowy White (Image credit: Brian Rasic/Getty Images)
Snowy White (Image credit: Brian Rasic/Getty Images)
ピンク・フロイド(Pink Floyd)のサポート・ギタリストとしても活躍したスノウィー・ホワイト(Snowy White)。当初はフロイドとの共演をためらった理由、デヴィッド・ギルモア(David Gilmour)とのパート分け、そしてギルモアとロジャー・ウォーターズ(Roger Waters)の間の緊張をうまく乗り切るためにどうしたかなどを、Guitar Worldのインタビューの中で語っています。

Q:70年代後半にピンク・フロイドと関わるようになったきっかけは何ですか?

「ピンク・フロイドがライヴ活動のための追加のギタリストを探していて、僕の名前を教えてもらったようだよ。フロイドの連中が僕に電話をかけてきて、連絡して欲しいと言われたんだ。当時、僕はかなり視野の狭いブルース・プレイヤーで、ピンク・フロイドのことは何も知らなかったし、知ろうともしなかったから、最初は電話を無視していたんだ。

正直なところ、彼らは薬物中毒のヒッピーだと思っていた(笑)。彼らはおかしなことに手を出していて、そのどれもが僕が興味を持つものではなかった。だから、連絡はしなかった。でも、ある人がまたこの話を持ち出してきて、“スノウィー、どうして彼らに電話しないの? 君にはいい仕事だと思うよ”と言われたので、それで、考えてみたんだ。

彼らのマネージャー(スティーヴ・オルーク)に連絡してみた。“スタジオに来て、みんなに会って、レコーディングしているものを聞いて、どんなものか感じてもらえないか?”と言われた。もう一度考えてみて、“じゃあ、行ってみよう”と思ったんだよ」

Q:スタジオに到着したときの様子を教えてください。

「本当にカジュアルな感じだった。ロジャーとデヴィッドがコントロールルームでたむろしていた。ロジャーがデイヴに“スノウィーをオフィスに連れて行って、ライヴのことを話してみたらどうだ”と言っていた。

気がつくと、デイヴは僕は向かいに座っていて“そうだね”と言い、“12弦を少し、リズムを少し、リードを少し、ハーモニーを少し、そしてベースを弾いてほしいんだけど、ベースは弾けるよね?”と言ったので、僕は“まあ、そうだね...”と言うと、彼は“いいね。それで、どう?ライヴをやれる?”と言ったので、僕は“うん、やれる、でも......僕の演奏は聴かないのかい?”と言った。

実は、僕は彼らの音楽を知らなかった。本当に知らなかった。僕は他人の曲を覚えるのが苦手で、セッションは好きではないから、そういうことをするのがいつも嫌だった。僕は視野の狭いブルースマンだからね。僕が“僕の演奏を聴いてもらうためにジャムろう”と言うと、彼は“演奏できないなら、ここにいないだろ?”と言ったので、僕は“そうだね、いないな”と答えた。すると彼は“そうか。君は仕事を得たんだ”と言われた。こうして僕はピンク・フロイドのライヴに参加することになったんだ」

ホワイトは、ツアー・メンバーとしての仕事を確保した後、ウォーターズに促され、1977年のアルバム『Animals』のレコーディングに参加し、「Pigs on the Wing」のソロを録音しました。

「“Pigs on the Wing”のソロを録音したのは、ライヴのオファーを受けた直後だった。デヴィッドと僕はコントロールルームに戻り、彼はロジャーに“スノウィーはライヴを引き受けることに同意したよ”と言い、ロジャーは“じゃあ、君がここにいる間に何か演奏したほうがいい”と言った。

それで、ロジャーは振り向きざまに“Pigs on the Wing”をかけた。途中でソロをやってみないか?”と彼は言った。それで、白いストラトを手に取り、プラグインして、いじくりまわして、ワンテイクでソロを弾いた。印象的なテイクだと思うけど、正直なところ、すぐにこんな素敵なものができたのはラッキーだったよ」

Q:フロイドのツアーに参加した後、あなたとデヴィッドの間のギターに関する役割分担はどのようなものだったのでしょうか?

「これもまた、とてもカジュアルなものだった。ツアーに出る前に、すべてのアルバムが送られてきて、僕は家でそれらを聴き、特にライヴで演奏してほしい曲を中心に聴いた。最初に聴いたのは『Wish You Were Here』で、ギタープレイがとても素敵だった。それで少し楽になったし、“これなら自分にもできる、ここに何かを加えることができるかもしれない”という気持ちになったんだ。

リハーサルに入ると、自分が何をしたいのか、それぞれの曲で何を期待されているのかが大体わかった。デイヴが言ったように、ベース、アコースティック、リズム、ハーモニー、そしてリードもあった。デイヴはリードにとても寛大で、僕に輝くチャンスを与えてくれた。彼は曲に対する素晴らしい感覚を持っていて、僕にリードをやって欲しいとき、あるいは下がっていてほしいときに、合図を出してくれた」

Q:70年代後半のフロイド内の関係は、非常に興味深いものであったと言われています。ロジャーとデヴィッドが一緒にいた時期、あなたはどう観察をしていたのでしょうか?

「興味深い...そう表現するのが妥当だろうね。中国に住んでいるようなもので、場所にもよるんだけど、興味深い時代だった。常にいろいろなことが起こっていたけど、僕は物事を片耳で聞いて、もう片耳から出すタイプの人間なんだ。自分の曲を覚え、自分のパートを演奏し、ベストを尽くしていたので、手一杯だった。でも、いろいろなことが起きていて、あまりよくなかった。

ロジャーとデイヴの言い争いが時々聞こえてきたけど、それをかき消して、自分の仕事に集中するのが精一杯だった。僕の知ったことではなかった。でも、物事がスムーズに進んでいないこと、二人がうまくいっていないことは伝わってきていた」

Q:その後ロジャーとツアーを行ったことを考えると、最終的にはバンドの他のメンバーよりもロジャーに近づいたと言えるでしょうか?

「まあね、ロジャーとはたくさん一緒に仕事をしたよ。13年間、ほぼ毎年何ヶ月も続くツアーをやった。だから、そうだね。でも、僕は彼ら(フロイド)の誰ともあまり親しくなったことはない。その必要はないと思ったからだと思う。その代わり、自分の仕事をし、ベストを尽くし、それを楽しんだ。

僕としては、それはそれで良かった。特にロジャーとは社交的なレベルで関わることはなかった。メールしたり、たまに話したりするけど、全体的に波長が合わないんだ。僕たちは個人的なものというより、音楽的なケミストリーがあったんだと思う」