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ジェフ・バックリィが名盤『Grace』に着手するまでの経緯を「Mojo Pin」「Grace」を共作したゲイリー・ルーカスが回想

2023/05/30 15:17掲載
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Jeff Buckley / Grace
Jeff Buckley / Grace
ジェフ・バックリィ(Jeff Buckley)の名盤『Grace』。彼がこのアルバムに着手するまでの経緯を、収録曲「Mojo Pin」と「Grace」を共作したコラボレーターのゲイリー・ルーカス(Gary Lucas)が英Classic Rockのインタビューの中で振り返っています。

キャプテン・ビーフハート&ヒズ・マジック・バンドのギタリストとしても知られるゲイリーとジェフの出会いは1991年春でした。ゲイリーがニューヨークのセント・アン教会で機材を片付けていると、見知らぬ男が近づいてきました。「すぐにジェフ・バックリィだとわかった。彼のお父さん(ティム・バックリィ)にそっくりだったんだ」。

「ジェフはロサンゼルスであまり励まされなかった。彼が言うには、ロサンゼルスの人々は彼を見くだすようなところがあったそうだよ。“お前の曲を聴いてくれるのは、おまえの父親のおかげだ”ということだった。彼にとっては、何もかもがうまくいかなかった。ニューヨークに来たことは新たなスタートだった。彼はすぐにミュージシャンや雰囲気と意気投合したんだ」

教会での出会いの翌日、ゲイリーはジェフを自分のアパートに招き、その才能を理解したという。

「ジェフが歌い始めたとき、僕は、驚きのあまり口をあんぐり開けていた。唖然としてしまった。彼は、年齢をはるかに超えた、耳を疑うようなすごい声を発していた。僕は“おまえはスターだ”と言ったよ」

その後、ジェフはロサンゼルスに戻ります。一方、ゲイリーはツアーを終えた後、自身のソロプロジェクトが高い評価を得ていたにも関わらず、所属していたレコード会社から契約を切られたことを知り、ショックを受けます。

「若手のA&R担当者は電話で“私たちを訴えることはできないでしょう”と言われて、僕は取り乱した。でも“ちょっと待て、ジェフに電話しよう...”と思ったんだよ」

ゲイリーはその後、「リフやハーモニーの構成がすべて入ったギター・インストゥルメンタル」をカセットに録音し、それをジェフに郵送しました。それが、後に『Grace』の代表曲となる2曲「Mojo Pin」と「Grace」の原曲でした。「1週間で作曲した」というこの2曲は当初は「And You Will」と「Rise Up To Be」というタイトルでした。

「数週間後、ジェフがニューヨークへやってきた。彼はライヴ・バンドで演奏していて、映画の出演者の一人と『ザ・コミットメンツ』のプロモーションをしていた。彼は僕のアパートにやってきて、“Rise Up To Beという曲を覚えている?今はGraceという曲だよ”と言った。そこでリフを演奏し始めると、彼は“月がここにいてくれと言っている”と歌詞を付けていた。彼は最高のコラボレーターだった。彼と一緒に仕事できたことがどんなに素晴らしかったか、言い尽くせないよ」

「And You Will」も「Mojo Pin」に改題され、2人はウッドストックのベアーズビル・スタジオでのアルバムセッションで録音される2つの曲を共作しました。

「“Mojo Pin”も“Grace”も、楽器的にも歌詞的にもほろ苦い曲だよね。直感的に書いたんだ。何年か経って考えてみると、メジャーからマイナーへ、恍惚とした喜びの歌詞があり、そしてダークなパッセージがある。だからこそ、僕たちの曲は長く愛され、人々の心を動かすのだと思う。誰の人生もずっと幸せなわけではないからね。誰にでもその瞬間はあるし、落ち込んだり憂鬱になったりするのは簡単なことだ。願わく、くじけずにがんばりたいものだね」

アルバム『Grace』は当初、売れ行きは低迷しましたが、ジミー・ペイジやロバート・プラント、エルトン・ジョンなど各界著名人から高評価を受け、その後セールスも伸びていきました。しかし1997年5月、ジェフはミシシッピ川で泳いでいた際に溺死しました。ゲイリーは、ジェフの性格の闇や、この死について、あまり深く考えないようにしているという。

「ジェフにはいろいろな面があった。本当に楽しい一面もあったけど、思い詰めると重くなった。母親が書いた本によると、ジェフは(テレヴィジョンの)トム・ヴァーレインに“自分は双極性障害である”と話していた。それは僕は知らなかったことだけど、なるほどと思った。それで彼の気分の落ち込みが説明できる。でも、僕は楽しい時間を思い出したい。幸せなジェフを覚えていたいんだ」