ジャズギターの巨匠
ジョージ・ベンソン(George Benson)は、米Guitar World誌のインタビューの中で、
ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)との出会い、
マイルス・デイヴィス(Miles Davis)との仕事、ビートルズのトリビュート作についての
ポール・マッカートニー(Paul McCartney)の反応、
ピーター・フランプトン(Peter Frampton)からの影響、
ゴリラズ(Gorillaz)らとの共演などについて語っています。
Q:60年代、ロック界の大物ギタリストの中に、あなたに劇的な影響を与えた人はいましたか?
「あの時代には何人かいるよ。エリック・クラプトンもそうだし、ジミ・ヘンドリックスもそうだ。他にもいたけれど、あの2人は当時とても影響力があった。みんな、“おいおい、クラプトンの演奏を聴いたことがあるか?”と言っていた。僕は“誰?”と言ったら、“クラプトンだよ、マジか”と言われたよ。だから、彼が何をしているのかすぐに知る必要があったし、彼がしていることが重要であることに気づくことになるんだ」
Q:ヘンドリックスに会ったことはありますか?
「もちろん。彼のキャリアが爆発する前に会ったよ。僕が聴いた彼の演奏はすべて特別なものだった。ある晩、僕がハーレムで演奏していたとき、アポロ・シアターでジェームス・ブラウンと一緒に演奏していたところに、彼が会いに来てくれたんだ。彼は当時、アイズレー・ブラザーズと一緒に演奏していた。数年後、彼らは記事でその夜のことを語った。“ジョージ・ベンソンはヘンドリックスを同席させて演奏させることさえしなかった”とね。ロナルド・アイズレーは“運がよかった、ジョージ・ベンソンのギターには誰も勝てないからね”と言ったんだ(笑)。」
Q:マイルス・デイヴィスは、あなたをアルバム『Miles in the Sky』に起用しました。彼はどんな人だったのでしょう?タフな人だったのでしょうか?
「(笑)彼について、君が聞いたことはすべて本当だよ。クレイジーなこと、奇妙なこと、すべてがね。彼はキャリアを通じて一度だけインタビューに応じたことがある。1回だけ。サインは、僕が知っている限りでは1回だけ。1回だけ。違う種類の男だよ」
Q:スタジオでは威圧的だったということですね。
「そう、多少はね。僕は彼を中心から外すようなことはしなかったけど、多くの人がそうして、その結果を好ましく思っていないことを知っている。僕はそのすべてから距離を置いた。僕たちは友人だったんだ。彼に会う機会もよくあったし、彼はいつも僕のことを認めてくれて、楽しい会話をした。彼と一緒にアルバムを作ったとき、彼は僕を自分のバンドに入れようとしたようだよ。僕のマネージャーは “そんなことはできない”と言ったんだけどね」
Q:マイルスはあなたにどう演奏してほしいか指示したのでしょうか?
「マイルスの偉大なところは、そういうことをしないところ。マイルスと一緒にアルバムを作ったとき、(ドラマーの)トニー・ウィリアムスが僕に演奏の指示をしようとしたんだけど、マイルスは彼にこう言った、“トニー、ドラムを叩けよ。ジョージに何を弾けと言うのはやめてくれ。よく考えて、そのドラムを持って、そこの隅に陣取ってくれ。お前はうるさすぎる”。彼はトニーをスタジオの隅に追いやったんだよ(笑)」
Q:ビートルズへのトリビュートである『The Other Side of Abbey Road』がずっと好きです。ビートルズの誰かからコメントをもらいましたか?
「ずっとだよ。あのアルバムが出たとき、業界はそれを嫌った。ジャズ関係者はみんな嫌ってたね。でも、ポール・マッカートニーからは“君が僕らの音楽でやってくれたことが大好きなんだ”という言葉が返ってきた。素晴らしい報酬だったよ。このアルバムがいつか意味を持つだろうとは思っていた」
Q:数年後、あなたのアルバム『Breezin'』は1位を獲得しました。その時、あなたはいったい何を思ったのでしょうか?
「“ありえない”と!(笑) きっかけを作ってくれたのは、たぶんピーター・フランプトンだと思う。当時、彼は史上最大のアルバムをリリースし、雑誌の表紙を独占していた。『Record World』などの雑誌の表紙を飾るには、彼に勝たなければならなかった。彼はある記事の中で、僕を駆り立てた言葉を口にしていた。彼は“ジョージ・ベンソンのアルバムをいつも聴いている”と言っていたんだ。
“えっ、この天才が、アルバムを売りまくってる子が、僕の音楽を聴いてるってこと?アルバムは売れてないのに!”と思った。彼はたしかにそう言っていた。だから、“彼のアルバムを聴いて、彼の音楽のどこが優れているのか確認しよう”と思い、彼の音楽を聴き始めたら、“OK、彼はここでパーカッションをやっているな。ちょっとやってみようかな”と思ったんだよ」
Q:あなたはポップスターのような存在になりました。ディスコチューンもやりましたね。初期のジャズファンから非難されることはなかったのですか?
「いつもだよ。でも、僕がこの世界で理解していることのひとつは、左に行くと“右に行くべきだった”と言われるし、その逆もある。それはよくあることで、多くの友人にも起こったことだ。ウェス・モンゴメリーがインディアナポリスで演奏するために故郷に帰ったとき、その心は傷ついた。そのころの彼はスターで、ダウンタウンの地元のアリーナで演奏していた。ポップスを演奏するたびに、年配のファンからブーイングが起きた。そして、ジャズの曲を演奏すると、彼らは熱狂した。彼はその渦中にいた。その仕組みは理解しているよ。
その点で、僕に起こった最大の出来事は、フランク・シナトラと一緒にレコードを出したこと。彼からは隣の席に座ろうと言われ、“ジョージ、君のギタープレイ、それが何であるかはみんな知っている。君は素晴らしい。でも、私はは君の声が大好きなんだ”と言われた。そう言われてから、もう自分のヴォーカルについて語られるのを聞くことができなくなった。聞こえないくらいにね」
Q:昨年は、ファンクの巨匠ブーツィー・コリンズの楽曲に参加しましたね
「“ジョージは何でこんな音楽をやっているんだ?”と言われたら、“なぜいけないんだ?”と答えたい。僕は自分に挑戦するのが好きなんだよ」
Q:2018年にはヴァーチャル・バンド、ゴリラズのシングル「Humility」に参加しました。
「彼らの名前を聞いたとき、“ゴリラズ?知らねえよ”と言った。その後、彼らがロンドン出身のロックグループかポップグループだと知って、“じゃあ、彼らの作品を聴かせてくれ”って言ったんだ。最初はどうしたらいいかわからなかったけど、人をがっかりさせるのは嫌いなんだ。だから、エンジニアに“あのバンドの真ん中に僕を置いてくれ。ライヴのように大きなスピーカーで鳴らしてくれ”と伝えた。そうしたら、何を演奏すればいいのかがわかったんだよ」