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ジーン・シモンズ、エディ・ヴァン・ヘイレンを振り返る「若い世代はジミヘン以来の最も重要な音楽家について知る必要がある。彼のような人はもう二度と現れない」

2023/05/15 16:34掲載
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Gene Simmons
Gene Simmons
キッス(KISS)ジーン・シモンズ(Gene Simmons)は、エディ・ヴァン・ヘイレン(Eddie Van Halen)を振り返るインタビューの中で「彼の死に動揺したのと同時に、いわゆる若い世代の多くが彼の才能を知らないことに、少し怒りを覚えた。頼むから、親は子供の手から携帯電話を取り上げ、この男をチェックするように言ってくれ。ミレニアル世代は、ジミ・ヘンドリックス以来の最も重要なミュージシャンについて知る必要がある。彼のような人は、もう二度と現れないだろう」と話しています。

シモンズは英Classic Rock誌のインタビューの中で、エディについて、こうも振り返っています。

「エディ・ヴァン・ヘイレンが亡くなったと聞かされたとき、まるで顔を殴られたような衝撃を受けた。彼はとても優しくて美しい魂で、純粋にいい人だった。彼はとても偏見がない人だった。 彼の笑顔や、ギターを弾く指の動きを思い出すことなく、彼のことを考えることはできない。

初めてエディに会ったのは、1976年にヴァン・ヘイレンがハリウッドの小さなクラブ、スターウッドで演奏しているのを見た夜だった。俺はヴァン・ヘイレンを発見した男としてクレジットされているが、俺はそんなことはしていない。俺はたまたまその場に居合わせただけで、まだごく初期の段階で彼らの偉大さを目の当たりにしただけなんだ。

あの夜、俺は彼らを見て、信じられない思いがした。俺はステージの前に立って、自分の目と耳を疑った。たった一人の男が、素手でこれだけの音を出しているのか? バンドの全員が生演奏で歌い、エディは完全にギターシンフォニーそのものだった。初期のころのエドは、自分の演奏がバレないようにと、観客に背を向けて立つこともあったそうだね。でも、彼がどのように弾くのかを見たとしても、どうやってそれを真似ることができるだろうか?

ヴァン・ヘイレンについて本当に興味をそそられたのは、彼らがどこからともなく現れ、何の血筋もないように思えたことだ。大きな唇とブルース色の強い曲のおかげで、エアロスミスとストーンズの関係はたどることができたが、今日に至るまでヴァン・ヘイレンがどこから来たのか全くわからない。エドワードはクラプトンのファンであることを話しているが、申し訳ないけど、それはわからない。他のギタリストがB.B.キングやアルバート・キングに触発されたのに対し、エドワードはメジャーとマイナーとフラットサードを弾いていた。彼がやったことは、クラシック音楽に近かった。

彼との友情は、俺にとってかけがえのないものだ。最初の頃はよく会っていたが、年月が経つにつれてそうではなくなった。最後に会ったのはロサンゼルスで、サンセット大通りでばったり出会った。彼はすでに癌に侵されていた。彼は、金属製のギターピックを口にくわえていたのが原因だと言っていたのを読んだことがある。俺の考えでは、それは事実ではない。エドはいつもタバコを吸っていた。

“ヘイ、ジーン!”と、道で俺の名前を呼ぶ聞き慣れた声を聞いたとき、俺は何と答えたらいいかわからなかった。その時点で彼の病状はよく知られていた。彼は会話の冒頭でそれを持ち出した。“やあ、元気かい? 僕は癌なんだ”。俺は恥ずかしくて、手を伸ばして抱きしめたかったが、路上でタバコを手に立っていた彼は、口を開けて“これを見て”と微笑み、本来なら口蓋(※口腔と鼻腔を分離している口腔上壁)の上の部分があったはずの空間を俺に見せてくれた。彼はただ肩をすくめた。“この病気なんだ。今日何をするんだい?また会おう”と肩をすくめた。幸せそうな、典型的なエドだった。

エディ・ヴァン・ヘイレンに会ったことのある人は、彼が決して他人の悪口を言わなかったことを知っている。エディはライバル・バンドの悪口も言わなかった。彼は肩をすくめながら、自分自身を振舞っていた。彼はチャーリー・チャップリンを思い出させた。映画の最後には何も持たず、ボロボロになりながら、淡々と道を歩いていく。

彼のそういうところは、自我の強い俺にとっては、いつも痛烈なものだった。俺は自分のことで精一杯で、自分の言葉に酔いしれるのが好きなんだ。エドワードの前で過ごすと、“もうこれをやめようかな”と思うようになった。気取ったり、バカなことはやめて、人間として集中しよう、とね。

エディは音楽がすべてで、女やロックンロールのライフスタイルがすべてではなかった。それは俺がいつも尊敬しているところだ。彼は人生を愛する人だった。彼は会うたびに満面の笑みを浮かべていたよ」